ページ

2013-04-06

人生再出発確認・故郷への旅


天岩戸神社の奥の院

火曜日の夜から故郷に帰っていまして、昨夜戻りました。ゆっくり過ごせたのはまるまる2日間でしたがやはりふるさとでの時間は、他にたとえようもないというしかなく、心身がすっきりとさわやかに洗われました。

 

今回もまた兄が夫婦、姉夫婦のお世話になりました。長兄は迎えに大分の別府まで来てくれ最後の送りまで、今回も私の滞在中あれやこれやと気を使ってくれました。二日目の夜は、めったに会わない次兄夫婦も私の退職を祝っての、夕食会を兄夫婦としてくれました。

 

全員が60代の我が姉兄弟、長女は間もなく70歳です。ありがたいことに、こうして全員が私の帰省をもてなしてくれる、ということに関しての在り難さが歳と共に沁みてくるようになりました。

 

故郷は、遠くにありて思うもの、そして悲しく歌うもの、という歌があります。私にとっての故郷はブログという形ではなく、いずれゆっくり引退したら書きたく思っています。何よりも、姉、兄たちが元気で慎ましくも充実して暮らしているからこそ、帰省しても楽しいのです。

 

生からやがては死に向かう生き物としての宿命からは、決して何人も逃れられないからこそ、穏やかに元気に会える今という時間を大切にしたいと思わないではいられません。それなりに生きてきて、ようやっと手にした珠玉の時間の今なのですから。

 

さて、帰省の目的の両親の墓参りを済ませた翌日、私が幼少期に3年間過した、高千穂にある神話で有名な・天の岩戸神社・に初めて兄夫婦と共にゆきました。詳しくは記せませんが、自然崇拝の極致、日本人の精神性の白眉を感じるところに、神が祀られていました。

 

私の生まれたエリアの歴史をほとんど理性的に知ることもなく世の中に出て幾歳月、還暦を過ぎて、ようやく我が故郷の奥深さや、先人たちの素晴らしさが沁みる年齢となりました。やはり私の原点は五十鈴川と、高千穂なのだということがあらためて確認でき、これからの再出発に向けての、直感的帰省の旅は申し分のない何かを私に与えてくれました。

 

これからは年に数回故郷への帰省の旅を繰り返し続けながら、老いてゆく中での生の充実を見つめてゆくきっかけになるという意味での今回の帰省の旅は、これまでとは一味違う旅になりました。

 

私の精神性の深いところに感応する、山深い棚田の奥に鎮座する天の岩戸神社、おそらくやがてはきっと生まれいずる処に、私も還ってゆくのだ、ということが確認できる旅となりました。安心してそこに還るためにも、今しばらくきちんと生きるべく、私なりの仕事をしたいと思い、古里を後にしました。

 
阿蘇の麓にある樹齢400年の山桜


 

 

0 件のコメント:

コメントを投稿