自分にしかわからない、いろんなよしなしごとを、日々内面に抱えながら、ともかく今日もまた一日を迎えられることの、平凡な仕合わせを噛みしめ、明るくなってきた、雨の朝の庭を眺めながら、ブログを書いている。
いよいよ、今日からシェイクスピア・遊声塾が始まる。新聞の記事で反応があっても、月謝まで払って、具体的にどんなことをやるのか、イメージが結びづらい私塾に、月謝を払ってまで参加される情熱を持ってくださる方がいるのかいないのか、正直皆目分からなかった、だから私は反応のあった方々に、直接あって面談し私の思いを伝えた。
事前に間違いの喜劇のテキストを買って、可能なら読んで来てくださいと。ちょっぴり気になって、男性二人の方に電話を入れてみたらすでにテキストを手に入れておられて、安心した。ゼロならスタートしようもないのだが、新聞を読んでの参加者が4名いるということは、私としては充分ではないにせよ、言葉にならないおもいに満たされるのだ。
人間は、おぎゃ、と生まれてから、息を引き取るまで、おそらく声を出し続ける生きものである、という定義が可能だとおもうのだけれども、私自身声を出すということを意識するようになったのは、1970年、18歳で田舎から上京し、小さな演劇学校に入ってからである。
演劇を学んだことは、辞めたのちも、その後の人生を生きてゆく中で、今に至るも私を支えてくれている大きなことであるという認識を私は持っている、それは一言でいえば、多面的な思考が可能だということに尽きるのではないかというのが私の考えだ。
井の中の蛙の私は、演劇といういわば哲学的な世界にかすかに触れられたからこそ、おそらくその後の人生を泳ぐことができたのだという感慨を持つ。ゆきずまったときに、シェイクスピアの登上人物の台詞が、救いというのではなく、自分の置かれた情況を相対化し、足りない頭で考える力を、声を出すことで救ってくれたのだ。
千変万化する、シェイクスピアの豊饒な言葉の世界を、明治時代の先人からから今に至るも翻訳挑戦され続けているお仕事には敬服する。そこには文語体から、口語体まで、激変する時代の中での、日本語の豊かさが、台詞という形で満ちている。
シェイクスピアの膨大な台詞を声に出すことは、IT万能、ほとんど声を出さずに済む現代人にはなかなかに冒険だとは思うけれども、電気も何もなかった時代のエネルギーあふるる時代に書かれた台詞を、声に出すことで貧血気味の身体に精気を取り込みたいと、ヒダカトモフミは遊声塾を始めます。
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