4月13日(土)山陽新聞に私の始める私塾に関しての記事が掲載された。私が一年間の試行錯誤の果てにようやく24日(水)から岡山天神山プラザで始める、ウイリアムシェイクスピアの間違いの喜劇をテキストにしての声を出す塾に関しての記事である。
この記事を読んで問い合わせてくださった方が、3人ほどいらしたのでこの数日、我が家にわざわざきていただいたり、私が出かけたりしてお会いした。記事だけではなかなかにお伝えできないことを、直接伝えたかったからだ。
私なりに、何故こういう塾を始めるのかを伝え、良かったら是非参加してほしいとお願いした。とにかく音楽会であれ、何であれ、他人様からお金を頂いて何かを為すということは、生半可の事ではない。ともかく参加者があり来週から始められるということに関して、この一年間私なりに試行錯誤してきて、曰く言い難い、責任の重さと嬉しさを、今感じている。
この記事を読まれた私のことを全く知らない、まっさらの出会いから縁あって個人的私塾に参加される方々がいるということに関して、ゼロでば無理だが、ひとりいればとりあえず始められるし、3人もの方の反応があったということは、私にしかわからない喜びである。
昨年の邦楽番外地からの出会いなのだが、この記事を書いてくださったM記者には、心から感謝している。限られた行数の中で、最大限の私の想いを伝えてくださっている。彼の記事の大きさを感じている。
61年間生きてきて、振り返り今更のように感じるのは、そんなに多くの方はいないのだが、このブログでも何回か書いたけれども、私ごときが世の中に出てなんとか世間の荒波の中で生きて来られたのは、ヒトとの出会いのおかげなのである。
妻との出会いは決定的だ。妻は自分のことに関してブログで触れられるのは極端にいやがるので、ほとんど書いたことがないし(私も書きたくはない)、いつの日にか、ブログではなく運命的な出会いに関しては書きたいと思っているが、34歳の時妻と出会わなかったら、と、ときおり考える自分がいる。今も妻はさりげなく私を驚かす。
私が61歳から再出発できるのは限りなく妻のおかげである。出会ってからの私の事を全てそばでみている。彼女にできるだけ迷惑をかけず、彼女の理解がある間、今しばらく私の中に湧いてくる活動をやりたいのだが、最後は私の父親がしていたように、夫婦だけの時間を過したいとおもっている。
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