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2025-08-31

稲城、長女家族の住むマンション、レイさんの部屋で打つ、寸暇、7回目の五十鈴川だより。

 昨日早めのお昼、周さんが作ってくれたチャーハンで済ませて、午後一時前稲城に男5人が集まった。少しやすんで、タクシーで府中にある市営プールまでタクシーで移動、乗りきれない人数なので、なんとあの暑さのなかを、レイさんは自転車で往復した。

レイさんの部屋に飾ってあった、

簡略に記しておく。午後3時から午後4時半まで、市営プールで過ごした。滑り台が2種類、流れるプール、泳ぐ専用プールが備えられていて、幼児から私のような高齢者まで、家族ずれで大にぎわいのなか、我々も大いに楽しむことができた。当初、私は泳ぐつもりはなかったのだが、レイさんが水着を貸してくれたので、急遽参加したのだが、老若男女が楽しそうに水に浸かっているのを見ているうちに、急に現在どれくらい泳げるか、現在の体力測定を兼ねて泳いでみた。

結果、25メートルを、休み休み平泳ぎ、クロールで10回位を泳ぐことができた。そして思ったことは、やはり泳げる間は、ほんのちょっとではあれ、泳ごうという当たり前のことであった。私が泳いでいる姿を、孫たちの記憶にも残したい、という気持ちもわいてきた。

これからは妻と共に、月に数回泳ぐこともあり、そんな手応えを、私は孫たちとの夏休みの終わりの土曜日のプール体験で得ることとなった。午後5時、再びタクシーで稲城へ。

午後6時、夕飯はれいさんが焼いた特性ピザを、葉、望晃、周さん、レイさん、私の5人で、最高の気分でいただいた。たっぷり頂き、レイさんがチェコのビールとハイボールを用意していてくれたのを頂いた。250メートル泳いだ疲れが、一気に出てきた。

それを感じたレイさんが、部屋の一隅を仕切り、あっという間にベッドを拵えてくれ、お父さんは休んだほうがいいという言葉に甘え、午後8時にもならないうちに私はその言葉に甘え、横になった。

夜中起きたらまだ3時、少し持参した3冊目の本を5時まで読み、再び寝て起きたら7時。ベッドをたたみ、しばらくすると起きてきたレイさんが、あっという間にこれまた手際よく、子供も大人も喜ぶクレープを作って朝食、皆揃って美味しく頂き、朝食後五十鈴川だよりを打っているという次第。

その朝食の時、ママが恋しい葉が少しグズっていたのだが、整然と論理的に、ノアがさすが2年生説得力をもってお兄さんしていたのが、とても私を驚かせた。成長を目撃できたこと、幸せであった。レイさんがグランベリーの干したのを葉に持たせると、あら不思議、葉はいきなり手を突っ込んで食べ、すっかりご機嫌に変身した。

この間の一部始終を静かに目撃していた私は、突然家族の素晴らしさに、じんわり感動した。長女が結婚し、あれから10年の歳月の後、いま私は4人の孫に恵まれている。彼らのいない生活は私には想像だにできない。これから10年後私は存在していないかもしれない。でもいいのである。孫たち4人がひょっとしたら五十鈴川だよりを読んでくれるかもしれない、なんて想像すると、五十鈴川だよりをうちたくなるのである。これから、近所の里山散策に出掛けるので、今朝はこれにて。

PS 今朝の写真は昨年春、千葉のマザー牧場に行ったときにレイさんが撮った写真です。

2025-08-30

土曜日、次女のマンションで打つ6回目の五十鈴川だより。

 今日はこれから長女家族の住む稲城に男だけ出掛け、男たちですごし、長女が娘の未彩を連れて、下連雀にきて、女性たちだけで過ごす予定になっている。私は男なので稲城にお供する。親子でプールにゆく予定なのは知っているが、私はプールには行かないで、家で留守番をしていたいと、考えている。

風香をあやす4歳の葉


さて、昨日は吉祥寺で、気のおけない仲間と、私が40年前妻と出逢った通称ハモニカ横丁にある東南アジア系の人達が働く、狭い居酒屋で、4月30日の打ち上げ以来、お酒を飲んだ。

(妻と出逢ったエリアは当たり前、全く別世界的な変貌を見せていたが、面影がそこかしこに残っていて、私を40年前にワープさせるに十分で、そのことがきっと私を昔へと回帰させ、しばし年齢を忘れて饒舌になったのは間違いない。

その横丁は今や多国籍人が、闊歩、人種の坩堝と化しかして、一日の終わりに乾杯していた。私は込み合う雑踏で、皆がトンスナショナルににこやかに過ごしているのをある種の感慨をもってって眺めた。これから40年後はいかなる風景になっているのだろう)

私より一回りしたのYさん、Yさんよりちょっとだけ歳上の、女性ふたり、計4名、午後6時半に駅で落合、その後10時近くまでの時間を、愉快にすごしたことを、五十鈴川だよりに短く打っておく。

アルコールと、幾ばくかは世代が近い気安さから、ずいぶん昔の思い出などが、つぎつぎと思い出され、しばし熱い記憶の流出に年齢を忘れてしまうほどであった。愉快な時間はあっという間に過ぎる。このような機会が持てたことは、やはりスパイラルアームズを企画したからこそ、もたらされたのだと、あらためてYさん、Mさんとの、すれすれのご縁を思った。

Yさんの面白い経歴(若き日一年間ブラジルにりゅうがくしている)繊細な優しさ、かつ豪放磊落な一面もあらためて知ることができた。そのYさんのお話し聞き上手に甘えて、結果、かなりきわどい今現在の私のおもいが、本音が発露されたのは間違いない。

ブログを打つことで、かなり内省的な時間を過ごすことができ、揺れる内面の整理ができるし、気のおけない仲間に話を聞いてもらうことの有りがたさ(わがままを)が染みた一夜となった。

ささやかな宴をおえ、吉祥寺から歩いて帰っていると鈴虫の鳴き声が聴こえてきた。ジブリ美術館の近くでバスが来たのでバスに乗った。マンションに着いても眠る気がしなかったので、エントランスで、数十分酔いをさまし、11時過ぎ部屋に戻ったら周さんがまだ起きて、ストレッチをやっていた。その姿を目にとめ横になって、私も睡魔が来るまで静かにささやかな我流の老人腹筋をやってめを閉じた。

2025-08-29

金曜日、下連雀の次女の住むマンションの図書館で打つ5回目の五十鈴川だより。

 もう5泊を娘のところですごし、まるでルーティンのように朝の次女家族の、お手伝いを済ませ、しばし自由時間、一人時間の居場所、図書館で五十鈴川だよりを打つ。

マンションの入口に聳えるヒマラヤ杉

記録として、この5日間、どのようなお手伝いをしたのかを、思い出すまま時系列で打っておく。細かいことは省く、朝食の準備、あさのお掃除、洗濯物をたたむ、洗濯物を干す、ゴミだし(細かく分類して、指示された場所にきちんとだす)買い物(娘のメモにしたがって片道500メートルくらいのところにある地元のスーパー稲城屋まで)昼食のお手伝い(お昼を2回自分で作った)、夕食のお手伝い、(夕食は娘が作る)後片付け、お風呂洗い、午後4時前、葉の保育園にお迎え、などなど。まあ、このようなお手伝いをしている。

夜は葉と同じくらいに早く休んでいるので、8時間は寝ている。そのせいなのだと想うが、すこぶる心身の体調が昨日辺りからがぜんよくなってきている。一昨日も打ったかもしれないが、この3ヶ月にも及ぶ酷暑の疲れが、元気ではあれ、73歳の体の累積疲労が抜け、別の場所、居心地のいい空間で癒されているのが覚る。

さて、今夜は私を含め、男二人、女性二人の4人が集い、会食することになっている。私の上京を機に、わざわざ会いに来てくださる稀なひとたちである。メンバーのいちいちについては省く。私にとっては大切な得難い面々である。(わたしの企画したイベントに参加してくださり、以来関係性が続いている方々ばかりである。日常的な交遊はほとんどない)

前回も少し触れたが、人生の晩節を付かず離れず、しかも気持ちよく共有できる仲間が、私には存在している。私が年齢を省みず、我が儘に突き進むちょっと集客が難しく、制作費が足りないとき、私のカンパの依頼に、気持ちよく応じてくださるまれな方たちばかりである。特に今年の春に企画したスパイラルアームズの企画では、正直想像を越えた応援が寄せられ、その事に助けられ、無事にあのライブを終えられたことへの感謝は、いまも例えようもない。

そのように粋な、もの好きとでもいうしかない面々のお陰で、私はかろうじて(臆面もなく打つが)今を元気に活き長らえているのだ。だがその元気に振る舞える体も、そうはいつまでもは無理である。だからといって体がやれる、やりたいという間は、よしんば実現は不可能でも不断の夢を育む努力だけは持続しないと、そうは簡単には夢の神は降臨しないのである。

40歳から突然企画することの醍醐味に目覚めた私は、途中シェイクスピアの音読に夢中になり、10年近く中断した後、再び70歳から企画を再開したのだが、毎回これが最後という気持ちで、かろうじてギリギリ、企画がやれている。(応援団がいるからこそやれているだけなのである)

なぜ、高齢者になっても企画するのかのエネルギーはどこからわいてくるのかは、私にもよくはわからないが、つまりは、まだ生きて元気であるからにちがいない、と考えている。理屈はどうでもいいのである。やれるうちに、やれる仲間と、というくらいの軽いのりである。芭蕉は夢は枯れ野を駆け巡る、と詠っているが、外見は枯れていても、内側には未だほんのりと燠びが残っている。(のだ)当たり前のことだが、この世に生を受けたからには、死は平等に訪れる。

ならば、どのように一日を生きるのか、生後一月にも満たない風香のしぐさ、寝姿をこの5日間毎日眺めながら、老人である私は考える。

2025-08-28

次女のマンションの図書館で打つ4日目の五十鈴川だより、【今を想う】

 昨日3日目を過ぎた辺りから、次女のところでの、いわば助っ人老人生活も幾ばくかは慣れつつある。が、慣れてはきても、基本的に私には都会生活は、全くダメである。この事について書くのは、五十鈴川だよりでは無理なのだが、やはり生まれ落ちた場所が、まったくの田舎の田園地帯のなかの、回りには他に建物がない家だった、その記憶のなかの原風景が絶対的に大きく作用している(と思う)。

次女の住むマンションの図書館で打つ五十鈴川だより


その事は、年を重ねるにしたがって、ますます自分のなかで大きくなってきているのを自覚している。おそらく次女の助っ人でなければ、先ずもって東京に4日以上滞在するなんてことは、私には出来ない。

話はあちこちするが、人生のいよいよもっての最終章をいかに自分にとって、居心地のいい場所で生活し、なおかつ理想を言えば、充実した生活を送りたい、という願望にそって還暦以後、下り坂人生を五十鈴川だよりを今も打ちながら次女の住むマンションのw考えている。

ヨタヨタ、途方にくれる体験もしつつ、あれから13年、いまを、ありがたいことに穏やかに生活できることに手をただ合わせている。折々五十鈴川だよりを打つことを持続しなかったら、生来の本質的性格に堕落していったのではないかと思える。だから、これからもできる限り五十鈴川だよりを打ちながら、日々を見つめ、ての届く仲間とともに老いながら、可能なら愉快な時間を過ごしたい。

私は今、次女の住む七階ではなく,一階にある、居心地のいい空間である、このマンションの図書館で五十鈴川だよりを打っている。娘たち夫婦が、私のために、フリーになる時間を考えてくれているのが、とてもありがたい。

宮崎の門川の五十鈴川のほとりの、山河の風景のもと、西行の歌になぞらえれば、願わくは、故郷エリアで、お迎えをと、私は祈るが、決して思い通りにはならないことは必定なので、一行五十鈴川だよりに打っておく。

朝からとりとめないことを打つ。明後日長きに渡って関係が続いている友人と会うことになっている。若いときと違って、老いるということは、皆それぞれ千差万別の老いる時間を過ごしているということである。ある日突然に、これまで経験したことのない未知の状況に置かれたりして、以来関係性が遠退いたりする。

私にだって十分に起こりうるのが、未知の老いの世界であることを認識している。だが、無理なく集えるときに会える、仲間友人があるということはかけがえがない。(だってもう十分に明日は会えないのかもしれないのだから)

自分の老いと向かい合う勇気は如何様にして、育めるのか、育めないのか、を考えつつ一日を過ごす、その日暮らし考になりつつある五十鈴川だよりである。そのような折、昨年から猪風来さんご夫婦と親しくさせていただくなかで、自分のこれから歩む指針のようなものが、うすらぼんやりと見えてきた気がしている。あのように自然にただ存在したい、自分に正直に存在するだけで気持ちが、呼吸がしやすい場所でその日暮らしをする。企画も、あくまでも老いながら自然に、やれる範囲で。

2025-08-27

次女のマンションの図書館で打つ、3日目の五十鈴川だより。

風香、生後22日目の足

 水曜日の朝、朝食を済ませ、洗濯物を干し、周さんが葉を保育園に送ってゆく前、一階にある図書館で、(何とも静かで快適な空間)五十鈴川だよりを打っている。

昨日の昼食はミートソースを(次女の指導のもと)私が作って3人で食べ、昼食後ネットフリックスで韓国の弁護士の物語(素敵な女優さんが出ている)を一話みて、夕飯用のハンバーグを次女と共に仕込み、暫しお昼寝、午後4時前、葉をお迎えにゆく。

葉は、風香の出現以来複雑な心理状態にあって、しばし私のお迎えを、てこずらかせたが、なるようにしかならないので、遠巻きに見守るべく、何とか家までたどり着いた。この間のなんとも言い様のない私のやるせなさを、ただ一行五十鈴川だよりに記しておく。やがては全てが思い出となり、蜃気楼のように、うたかたの出来事として記憶に刻まれることを私は願っている。

次女のマンションで過ごすのも3日目となると、幾ばくかなれてきて、一日の過ごし方にも少し余裕が出てきて、昨日はずいぶん本が読めたし、今日も恵島良太郎さんという作家の本を読む時間がとれそうなので、忙中閑あり、うれしい。

次女の旦那、周さんが何かと気を使ってくれるし、プライベートな個人での時間を、快適に過ごす共有スペースがマンションのそこかしこにあるのが、本当に嬉しい。異常な暑さのこの夏の疲れを、(主に労働とフライヤー配布で)岡山を離れ、このマンションで過ごすことで、リフレッシュできそうである。

昨日は、津野海太郎著【生きるための読書】という本を読み終えた。75才から82才のくらいまでの間に読んだ本についての、みずみずしい考察が綴られている。なんとも年齢を凌駕してあまりあるほどの柔らかい筆致に随所で唸らされた。

このような知的胆力のある文章にお目にかかれる、巡り会えることの幸運を、私は勝手に俺は運がいいと、どこかでほくそ笑む。風香のお陰で上京することになり、滞在中に読みたい本をと、23日西大寺の図書館で見つけたのだが、沁みるように読めた。

いつ死んでもおかしくはない年齢で見つけた、著者から見たら数世代後の主に30代から40代前半のかたたちが書いた本についての読書、考察記、である。著者より一世代下の私には、身につまされるほどの刺激を受けた。そして、思うことは、もしこのまま健康なら、いよいよしっかりと80才を見据え、揺れる胸中を引きずりながら、悔いなく日々を生活したいという一念である。

2025-08-26

8月26日、下連雀次女のマンションで打つ、2日目の朝の五十鈴川だより。

 早くも二泊、3日目の朝の寸暇五十鈴川だよりである。昨日の過ごし方のあらましを、時系列でざっと記録しておく。

朝食後、葉を周さんに連れ添って私も葉を送ってゆく。帰って洗濯物を干す。五十鈴川だよりを打つ。お昼は次女の特性ソーメンのタレ作りをちょっと手伝う。凍ったトマトをすりおろして、シーチキンと三つ葉の刻んだのをいれた特性ユニークのタレ。これが抜群に美味しかった事をきちんと打っておく。

85歳のかたの文章、沁みる

昼食後、歩いて10分くらいのところにあるスーパーまで、買い物にゆく。次女に渡されたメモを見ながら、きちんと役に立つべく私は動く。大きなリュックサックにいっぱいの食品を背中に、炎天下歩いて往復、無事に買い物を終えることができた。

マンションに戻って、私は12通主に岡山の友人に、残暑お見舞いの一文をいれた縄文のフライヤーを送る封書作業。その後後暫しお昼寝、夕方5時半、保育園に葉をお迎えに周さんとゆ戻って、全員順次お風呂をいただき、午後6時過ぎ、夕飯。生まれて3週間、次女は風香の面倒を見ながら、買ってきた食材をテキパキト調理し、短時間で夕飯を整えていたのには、さすがに驚いた。夕食後、周さんが台所の後片付けを見事にこなしていた。

全く岡山とは異なる環境での生活をしている。老いては子に従えと言うが、まさにしかりなれど、老人の私は、あれやこれや、時代とのあまりのずれに戸惑いつつも、何とかお役にたてるべく奮闘しているといったところである。

娘夫婦の子育てぶりを間近で、わずか2日といえども垣間見て思うことは、そのあまりのそつのなさである。お互いしっかりと支えあっての子育てぶりには、頭が下がるほどのものである。特に旦那さんの献身的な育児ぶりには、目を見張る。淡々と冷静に感情的にならずに。老人の私は、少なからず今となっては遅きに失した感は否めないものの、彼らの子育て負担を少しでも減らすべく、、と考えている。

4歳になった葉は風香が突然やって来て、ちょっとこれまでとは勝手が異なる生活になって戸惑っている様子が伺えるが、少ない語彙で、必死にもがいている。僅か数ヶ月で驚くほどの成長ぶりを私は感じている。(周さんが保育園からの恒例の朝散歩から帰ってきた。彼はこれからリモートでのお仕事である。私は郵便局に出かける。今日はこれくらいで)

2025-08-25

4番目の孫風香とご対面、三鷹、下連雀の次女のマンションで打つ朝の五十鈴川だより

 昨日最初の孫ノアと(ノアは3日間岡山に来ていた)共に上京、次女に第2子、風香が8月5日に産まれたので、何かと大変な次女の家族のお手伝いに来ている。

岡山には9月2日帰るまで、寸暇下連雀滞在日録を綴り打ちたい。昨日お昼過ぎにつき、ノアのお父さんレイさんと品川で落合、そこから調布に移動、そこで本格的な釜で焼いたピザのお店で昼食。レイさんがご馳走してくれた。

8月25日午前中の母と娘

昼食後レイさんノアとお別れ、彼らは稲城へ、私はバスで吉祥寺駅へ。午後3時、たまたまお仕事で山梨から東京に来ていた、旧友の(春、スパイラルアームズに来てくれた)Kさんと会う。私に会うために、わざわざ新宿から吉祥寺にきてくださったのである。30分弱ビールとハイボールで駅近くのお店で歓談できた。すべては成り行き、会えてよかった。またの再会を約束した。(なりゆきとはなんと不思議であることか、その不思議感覚を私はいよいよ大事にしたい)

吉祥寺から、風香が生まれ4人家族となった次女のマンションに着いたのが午後4時過ぎ、久しぶりの再会、4歳になった葉は照れながらも、私が来たのを喜んでくれているようだった。初めて直接風香を見た。すやすや休んでいた。

直ぐに葉とお風呂に入り、夕食前、葉におしり探偵の本を読んであげた。夕食は、旦那さんの周さんが用意してくれた。チキン、クリームコロッケ、お味噌汁などなど。食後、はみがきをすませ、なんと8時過ぎ、葉とおなじくらいの時刻に寝てしまった。ぐったりと疲れがたまっていたのである。

8月21日夕刻、妻が岡山に戻ってきたとき、長女の7才の最初の子供ノアをつれてかえってきたので、それから22日、23日の二日間は、ノア中心の夏休み海と山川時間を過ごした。(このノア3日間の岡山滞在の濃い出来事はいずれ、岡山でゆっくりと書きたい)

ともあれ、よく寝たお陰で、五十鈴川だよりを打ちたくなるくらいには、体力気力が戻ってきたので、早速五十鈴川だよりを打っている。これから9月2日に帰るまでの日々、次女家族のおお役に立つために、わたしのやれることを、との殊勝な気持ちでいる。そばに風香がみえる。今日が初日、まずは午前中の買い物からのお手伝い。私は一日一日を前向きに、面白がる役立つおじじでありたい。

我が娘、共働き、都会の子育て世代の実相をわずかな日数ではあるが、共に体験できるのは、老いゆく私にとっても、貴重な時間、その事を共有したい。