先日、千住真理子さんの、継続する力を読んで、改めて我が意を得た、というとオーバーだが、還暦以後継続(手術で中断もありけれど、復活している)していることがある。五十鈴川だよりもそうである。古希からの企画再開もそうだし、他には懸垂と裸足散歩、家庭菜園、踵の上げ下ろし、音読、それに筆写もいれれば、、、。かなり還暦以後毎日ではなくとも継続している。今は新聞の購読を止めたが、書評の切り抜きも20年近くやっていた。
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絵本読み聞かせお爺になる |
考えると、家、及び近所でやれ、企画を除いたらほとんどお金のかからないことばかりである。それでこの年に至るまで、自分でいうのもなんだが、面白可笑しく過ごしてこれたのである。
なぜこのようなことを打つのかというと、中高年の貯蓄率がことのほか我が国では高いということを知らされたからである。お金はきれいさっぱり使うものである。(西郷隆盛の言葉、子孫に美田を遺さず、これも父の言葉、ゼロから始まりゼロで宇宙の塵なるのが理想)守りに入ったときから、人は貧しくなるように私にはおもわれる。
もし私が経済的に余裕のある家庭に生まれ落ち、今現在も自由になる、ある程度の資産があれば、多分惜しみ無く企画を初めとする好きなことに、お金を費やすのではないかと、想像する。そのあげくどうなるのかは神のみぞ知る。
が私はそういう家庭環境には生まれなかった。両親は5人の子供を抱え、父は長男だったので、両親の面倒を最後まで見、戦後北朝鮮から命からがら、 無一文で引き上げてきて、借金して、町中からはなれた(当時は近所に家がなかった)場所に家をたて、ローンを払い一家の主としての生涯を全うした。父は文藝春秋だけ定期講読していた。
その両親の四番目の子供が私である。母は北朝鮮では小学校の先生をしていたが、引き揚げてきてからは、一家の母として、主婦の仕事、子供の世話、両親の世話に明け暮れた。私の記憶の中の母は、家事に明け暮れる母の姿しかない。怖い父と、怒ることのない優しい母、全く対照的というしかない両親に育てられたのである。今おもえば人生に必要なことはすべてあの両親から受け継いでいるのだということが、染みて自覚(わかる)。
結果、私は不必要な出費や、華美な飲食、華美な旅、華美なファッション(ボロでも清潔で、らしく着こなせればいいのである)などなど、身の丈に合わないような生活はとんと送れない生活者、似合わない生活者になってしまったのである。それでいいのだ。
もっと言えば、お金の使い方がわからないのである。高価な衣服や、車、飲食物、ライブや、コンサート、などなど、にはとんと興味がなく、コレクションの趣味もほとんどない。結果、今も私の生活は慎ましく、その慎ましさのなかで、いかに贅沢な時間、一日を過ごせるのか過ごせないのか、にしか頭が動かないのである。
だが、これも父からの教え、お金がなくとも、心が貧しいのは駄目だと。長くなるのではしょるが、心の貧しいケチな人間になるのだけは御免である。貧しくたって夢を見るのだ。夢を見る力がないのが貧しいのである。そういう人生を今も私は歩んでいる。企画の夢にお金が追いつかないとき(ほとんどだが)は、共有してくれそうな仲間にカンパをお願いする。一期一会、その時に集まったお金で企画する。打ち上げは足を運んでくれたその仲間と。これが私がこれまで経験した中で、もっとも愉しく贅沢な時間である。
だがこれからいよいよ私は老いてゆく。体がよぼよぼになる。だから、ゆっくりと私の贅沢時間は変容する。さしあたって、12日の縄文イベントを終えたら、ちょっと長めのお休みをとって、どうしても訪ねておかなければならない人に(会える人にはしっかりと会っておきたい)会う旅に出掛けようと思っている。お伴は、死ぬまでにどうしても読んでおきたい本である。
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