土曜日の朝である。今日は午後から明日のイベントの準備があるが、明日は五十鈴川だよりを打つ時間はないので、少し今の心境のようなものを打っておきたい。とはいうものの私の一文は、自然に流れるにまかせる、いい加減ブログである。
![]() |
バイト先のコスモスと秋の雲 |
さて、台風23号が接近しているが、予報は晴れ、裏方としてはとりあえず安堵している。今はただ明日、つつがなく20周年野焼き祭りイベントが終わることを祈っている。
昨年秋、猪風来さんからの突然のお電話で、この猪風来縄文造形芸術の集大成企画のお手伝いをすることになって、おおよそ一年、この間、私の生活時間のかなりを割いてきたが、ようやく明日結実する。
今私は、この猪風来さんご夫妻にお声かけしてもらえた幸運を、ただ感謝している。今朝はその一言を打てば事足りる、という心境である。猪風来さんご夫妻のあまりにもの純粋さに、俗物の私のこれまでの人生が、どこか気恥ずかしいほどに、照射され続けた一年tであった事は確かである。(だが私は俗物を全うするつもりである)
この年齢、もうカチカチに固まってしまい、時代のすう勢に飲み込まれ埋没、流されしまいそうな私に、(流されてもいいのである、自覚していれば)一筋の光明をご夫妻は与えてくれたことを、キチンと五十鈴川だよりに打っておく。
ご夫妻と言葉を交わした、この一年で私の生活はかなり変容した。それはうまくは言えないのだが、猪風来さんご夫妻のように、歩んでゆけばいいのだという、老いゆく覚悟の深まりの実感である。
それは、この一年に綴り打った五十鈴川だよりの節々に、その影響のようなものが顕現している。なにか心からふわーっと楽になったととでもいうしかない感覚が、自分の中にわいてきたのである。これから先の私なりの時間の過ごし方の、大いなる当たり前のヒントをご夫妻から頂いた事を打っておく。
それは当たり前を受け入れ、当たり前に訪れる日々の生活に愛情をもちつづける、平凡な真理である。それを実践する。もうそれだけでいい、足りているという気付きである。だから私は今朝も能天気に嬉しいのである。
唯我独尊、前人未到の、あの猪風来縄文造形作品群は、50年ひたすら土の神に祈りを込めた、まさに、俄に縄文人が忽然と時空を越えて蘇り、生成A人類の行く末、困窮カオスI時代、一石を投じたとでもいうしかない、ほどの偉業なのだということが、遅ればせながら、ようようにして今私は感得している、のだ。
私の今朝の五十鈴川だよりを、いつの日にか孫たちのだれかが読んでくれたら、嬉しい。
0 件のコメント:
コメントを投稿