猪風来さんご夫妻の渾身の企画を終え、14日から昨日金曜日まで、7年間続けている、今や現在の私の生活のいちばんの居場所とも言える労働に復帰した。ほぼ一年の間、どこか心の片隅に猪風来さんのイベントが宿っていたので、その事から解放され、普段の私の日常生活に帰れ、ああもう終わったのだという、充実した空虚感を抱えながら、ただ青空の元、体を動かしていた。
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孫と共に作った73歳、私の初作品 |
無事に終えて5日経ち、五十鈴川だよりを打てる時間が持て、私は嬉しい。ようやく普段の生活にもどりつつある。
とはいっても、この一年の間、猪風来さんご夫妻が、古希を十分に過ぎた、老人である私に与えた、感動、刺激は到底言葉では表すことができない。
じんわり、じんわり効いてくる、猪風来縄文ワールドの魅力にはまってしまいそうな私である。それ以上の言及は今朝は控えるが、猪風来さんご夫妻を通じて、縄文世界の引力に引き込まれてしまった、気がしている。
人生の遊行期に入って間もなく、本質的に猪風来さんご夫妻と出合えた奇縁、タイミングを今はただ感謝している。確実に言えることは、自分が変化したからこそ、猪風来ワールド(以下、よし子さん原野さんの作品すべて含む)をささやかに感知し始めたのは間違いない。
自分の中にこれまでの人生で紡いできた、ものの見方、価値観、常識が覆されてゆく、気持ち良さ、変な溜まりに溜まった澱のようなものが、洗い流されてゆくかのような、快感に誘われたのである。とても言葉化不可能な世界の引力に。
年齢的に、直感的にあえて綴り打てば、もう残りの人生時間、元気に動ける間は、あくまでも現代生活の片隅で、縄文世界について少しでも知りたい、学びたい、想像力を養いたいという、我がうちなる老いてなおの力、変化がわいてきたのである。
もっと打つなら、縄文への下る旅がしたくなったのである。よもやまさか、このような変化が自分に訪れようなどとは、一年前には想いもしなかった。あれほど打ち込んでいた(シェイクスピアの音読も止めはしないが、割く時間は必然的に減る)音読も、この一年ほとんどやっていない。が、深い呼吸力、集中力の持続維持のためにも、シェイクスピアのなが台詞ほど、老人の私を鍛え、面白がらせるものはそうはないから、今しばらくは並行して続けたい。企画もである。
今朝の五十鈴川だよりは、とりとめなき様相を呈している気がするが、致し方ない、老人の心は千路に乱れさ迷う。でも私はそれを由とする。新たな一歩を踏み出したい、のだ。可能なら、これまでやって来たことを踏まえ、未知の縄文世界を、猪風来さんを水先案内人、先生として学びたい(のだ)。
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