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2024-09-21

上京小さな旅3日目の朝次女のマンションで打つ五十鈴川だより。

 今日は、午後3本目の映画を観に行きその後、稲城にすむ長女のマンションに移動する。そばでおやすみのお父さんと葉君は遊んでいる。娘は半日お仕事で先程でかけた。母を見送る葉君が、行ってらっしゃい気を付けて、といっているのを耳にして、ちょっと感動した。

ヴェランダのレモンが実をつけていた

私は父と息子のそばで寸暇五十鈴川だよりを打つ。昨日は辰巳芳子先生のいのちのスープのドキュメンタリーを観て心が洗われた。これから生きてゆくために繰り返し思いを出すであろう珠玉の言葉の数々、先生の人生の軌跡が自然につむぎだされて、静かに深く私の心に届いた。

昨日に続いて来てよかったと一人呟いた。観終えて外に出ると彼岸の入りとは到底思えない暑さ、その暑さのなか一人恵比寿から渋谷まで歩いた。歩きたかったからである。途中渋谷の駅近くで、ひっそりとたたずむ、見逃してしまいそうな趣のある、年季を感じさせる小さなお団子やさんがあったので、娘たちの手土産に少し求めた。

渋谷から井の頭線で吉祥寺へ出て、30数年ぶりに私にとっての面影の界隈を散策した。吉祥寺は妻とであった街なので私にとっては、忘れられない思いでの縁深き街なのであるが、非情というしかないほどの変貌を遂げていて、あらためて浮き世の移り変わり、人心の移り変わりに老人の私はどぎまぎたじろぐしかなかった。

夕刻6時次女夫婦と待ち合わせ、とある居酒屋に夫のSさんが案内してくれ、まだ小さい葉君もともに夕飯、ごちそうしてくれた。楽しい団らんはあっという間にすぎて、バスで下連雀のマンションに帰った。戻ってすぐお風呂、葉君はお父さんと入った。私はお風呂のあと糖質0のビールをいただき、あっという間に床に着いた。

さて、今日の午後観る予定の3本目の映画がとても楽しみである。素敵に老いて輝き、まさに理想的に老いを受け入れ、見事にいきられてきた方々を見つめたドキュメンタリー。これから本当の意味での老いを受け入れ、老いゆく先に向かい合わないといけない私にとって、これ以上ない多義的な示唆に満ちたお手本にしたいドキュメンタリーとの出会いになった。

与えられた3人の小さな命輝く孫の存在が、嫌でも私を活性化させている。老いゆく命、輝く孫たちの命、循環する命の妙。生まれ老い朽ちる。葉君が父と遊びながら発する輝く言葉を、そばで耳にしながら、老人の私はなんとか今日の五十鈴川だよりを打ちおえることができた。

2024-09-20

朝一番、三鷹の次女夫婦のマンションで打つ五十鈴川だより。

新幹線のなかで読む

 朝一番、三鷹の次女のマンションのリヴィングで打っている。昨日の出来事のあれやこれやも、忘れないうちにスケッチふうに打っておこう。昨日朝西大寺を7時に出て岡山から新幹線で品川についたのが、11時半。そこから山手線に乗り換えて恵比寿へ。12時に東京都写真美術館に着いた。映画は1時20分から。平日なのですいていた。チケットをまず求めて荷物をコインロッカーに預け、身軽になって恵比寿でお昼。駅の近くでカレーのランチを済ませ、時間の余裕があったので、写真美術館の4階にある図書館(素晴らしい図書館)で過ごした。

映画はタイトル【勇気をくれる伝説の人間記録】(天のしずく 辰巳芳子・いのちのスープ)(笑う101歳×2 笹本恒子 むのたけじ)(天地悠々 兜太・俳句の一本道) 河村厚徳監督による3作品が上映スケジュールを変えながら9月10日から23日まで東京都写真美術館のホールで上映されている。

私が昨日観たのは【笑う101歳×2 笹本恒子 むのたけじ】である。今日は昨日と同じ時間帯で【天のしずく 辰巳芳子 いのちのスープ】をみる。昨日観たドキュメンタリーは、日本初の女性報道写真家笹本恒子と伝説のジャーナリストむのたけじ、101才同士、女と男のお見事というしかない不屈の生き方をされたお二人の映像、語りを追い続け編集した作品である。

観終えて最初に思ったことは、たまたまラジオでこの上映会のことを知り、急遽駆けつけてきて観ることができた幸運である。日本初の報道写真家である笹本恒子さんのことは全く知らなかったし、むのたけじという名前は聞いたことがあったがこのような気骨のあるジャーナリストがいたこと、に心から驚かされた。来てよかったと、今五十鈴川だよりをうちながらあらためて思う。

今日も観にゆくのが心から楽しみである。一日に一作品をゆっくりと堪能する。これが今現在の私にはもっとも似つかわしい。いまはまだ感想を打つのは控える、3作品を観終え、いずれ岡山に帰って後、ゆっくりと記したくなれば記したい。よしんば記せなくても問題はない。まだ一作品を観たばかりだが、人間の神々しさを感じさせてあまりあるドキュメンタリーで(昨日の作品に)に出会えた喜びに、今はただ浸りたい。

来週火曜日までには3作品を観ることができればもういうことなし。こんななにゆったりとと過ごせるお爺気まま東京気まま旅、娘夫婦のお陰である。昨日夕刻映画を身終え、恵比寿から新宿経由で三鷹へ出て、バスで次女がすむマンションへ。夕方5時仕事帰りの娘と保育園へ孫の葉君を迎えに行き、帰って葉君と少し遊び、夕飯前葉君と一緒にお風呂。いつもは父と入るのだが私と一緒に入ってくれた。私は葉君の3才の体をピカピカに磨いた。

夫のSさんは家でお仕事、夕飯、娘がてきぱきと用意してくれた。家族全員、葉君中心に楽しくお話ししながらいただいた。食後横になって休んでいたら知らぬ間にそのまま寝入っていた。

  


2024-09-19

夏の労働を乗り切り、東京家族に会いに出掛ける、夜明け前の五十鈴川だより

 起きたばかりである。西の空には中秋の十六夜の月がまだ浮かんでいる。まあるい月を眺めていると、夜明け前自分も浮かんでいるような、いわゆる浮世離れした気分になる。小さな頃からこの世とあまりうまく馴染めず、結果このような人生を歩むはめに成ったのではないかと、今にして想う私である。

西の空に浮かぶ十六夜の月

さて、二人の娘家族のところに半々、5拍6日の予定で上京する前の五十鈴川だよりである。したがって時間にあまり余裕がないのだが、余裕がなくてもなにかうち綴りたいという煩悩が在るということをいいほうに考え打つ。

今回の上京の目的は、滅多に見る機会がないドキュメンタリーフィルムを東京都写真美術館でみることと、数ヵ月ぶりに、3人の孫の成長ぶりに接するのが目的である。もう口に出すのも嫌になるくらいの此の夏の暑さをほぼ乗りきった、自分に対するご褒美の小さな旅でもある。

9月になったら孫たちに会いにゆこうと想うだけで、どこかこの狂ったかのような夏を乗り切れたのは間違いない。単細胞の爺ばか承知で打たせていただく。

人間にはというより、私には幻想とでも呼ぶしかないような、どんなに小さな喜びであれ、希望のニンジンのようなものがぶら下がっていないと、頑張れないあまのじゃく的な体質があるのをどこか自覚している。その事がこれまたこのような人生を歩ませているのだというどうしようもない自覚である。

そしてそのような思いを抱えたまま、老いてゆく覚悟のようなものが、よきにつけあしきにつけ深まりつつある今を生きている。孫が小さいうちに共に遊べる時間をこよなく私は大切にしたい。それと平行していよいよ風に吹かれて、体が動くうちに小さな旅を(家族に会いにゆくのも含め)続けたい、のだ。。(お世話になった方々への訪問行脚旅もしたい)

旅先で、五十鈴川だよりを打つ。一日でも長く草刈りをしながら、体のコンディションを整え、限りなくお金に頼らず、自分に与えられた体(命)の発露の旅を一年でも長く続けたいという希望が膨らんで来たのは、此の夏の暑さのなかの労働のお陰である。

この年齢まで元気に生きられて想う。6年前まではこの世に存在していなかった孫たちの出現が、老いゆく私の命の日々の現在をいかに照らしていることか。そして真摯に私は考えずにはいられない。青二才の思春期から、そして今にいたるも、ヒトはいかに生きてゆくのかという、言わば答えのない問いを、問い続けるなかでしか生きている実感が持てなかった私である。(問い続けたお陰で辛うじて生き延びられて気がする)

養老孟司先生がおっしゃっていたが、生きてゆくことは日々断崖絶壁の上を歩んでいるようなものだと。とてもではないが、そのような境地にはほど遠い私だが、黄昏、孫たちが私を導いているのは幻想に近いとはいえ事実である。5泊6日の旅が楽しみである。



2024-09-16

整理整頓、青春期に観た映画の宝のパンフレットがたくさん出てきた、なかでもロミオとジュリエット。そして想う。

 3連休三日目、今朝も朝のルーティン裸足散歩ほかをすませて、静かに五十鈴川だよりを打てる喜びの時間帯である。3日連続五十鈴川だよりを打つなんてことは、ほとんどないのだが、たまにはこういうことがあるのもまた、私らしいと勝手にいいほうに考える。

監督フランコ・ゼフィレリ音楽二ーノ・ロータ

さて、整理整頓を今日も少しずつ進めようと思っている。ちびりちびり進んでいる。基本的におやすみの時にしかやらない。

一応年内を目標にしている。さてどうなるのかは自分でもわからない。未来はオーバーではなく未知との遭遇なのだから、何が起こるかはわからない。でもまあ、穏やかな生活が続けば、片付くと思う。

細かな写真の仕分け作業に大分の時間がかかるのを除けば、かなり部屋がスッキリとしてきた。もうそれだけでもこの暑さのなかやれたことに、私としてはかなり満足なのである。

衣類の整理も始め、もうほとんど被ることのなくなった帽子等も、別れが忍びなかったが、この際思いきって処分した。甘い感傷にお別れし老い路を新たに旅ゆきたい。

思いきっての整理整頓を始めたことで、どこにいったかわからなくなっていたパンフレット等が大量に出てきたりして、思わぬ喜びに身を震わせたりもしている。やはり思いきって、整理整頓を始めたことは吉である。特に18才から25才頃までの、(我が人生でもっとも苦しかった頃)多感な時期に観た記憶の宝の映画のパンフレットは、捨てられないし、きちんと整理して、家族に残しておきたい。(数えてはいないが200冊くらい)

アンティークとして壁に季節ごとに飾ってもいい感じになるし、かけがえのない青春の宝の(辛い記憶も含め)の記憶が甦るので脳が活性化する。(気がする)パンフレットのなかでも一番のお宝は【ロミオとジュリエット】のパンフレットである。田舎で高校生で観たときにはお金がなく買えなかったのだが、18歳の時に上京して再び観たときに買ったのだろう。昭和45年6月21日テアトルの日付がある。テアトル銀座かテアトル新宿で観たのだと思う。

つくづく感受性が柔らかい時に見ることができた幸運に、今となっては感謝するほかはない。そして想うのだ、今見ても古びていない私が心を奪われた名作を、これから再びゆっくりあらためて元気な内にチャンスをつくって観てみたいと想う。(チャップリンのライムライトが神田の古本屋で、なんとDVD100円で買えた、ビックリである。この年齢で見ると一段と感動する)

話は変わる。若いとき、壮年期を経ないことには、いきなり老齢期はやってこない。そして老齢期もやはり経験してみることでしかわかりようがない、そのことを、私は今はっきりと実感している。これから5年後、10年後、私は息をしているのかどうか。だがそのようなことに想いを巡らす気持ちはナンセンス、私には毛頭ない。一日一日のその日暮らしをこそ、私は大切に生きるその事しか、ほとんどもうなにも考えていないし、もっと言えばそこにこそ老人生活を面白く生きる極意のようなものがあるように思える。

特にこの夏をなんとか乗り切り、夜毎丸くなる秋の月を愛でながら、健やかに在る我が身の一日の終わりを、裸足で大地を踏みしめながら想うのである。もうほとんど出家感覚を私は生きている。夢の残滓を整理しながら想う。これだけの宝の思い出に彩られた我が人生のこれまでであったのだという事実が確認ができたことは、幸せという以外にない。安心して老いてゆけそうである。

PS 一本の映画、一冊の本、一本の演劇、一人の人との、思春期の多種多様な千差万別の出会い、タイミングはほとんどその後の人生の行く末を決めてしまうほどに大きいのだ。

2024-09-15

書斎の整理整頓、企画したフライヤーや記事文章、写真やお手紙お葉書ほかの整理整頓を始め、そして想う。

 先週末から、少しずつ主に写真の整理やその他、ある日忽然と私が存在しなくなったときに、残された家族が、少しでも途方にくれないように、私のからだが元気な内に、できるだけのことをしておこうという殊勝な気持ちが芽生えている。

椎名誠さんを招いての夢が原の野外映画

だが、本質的に整理整頓が苦手な私である。ひとつの写真に見いってしまうと、次々に思いでの記憶の扉がひらいてしまい、手が止まる。インターネット時代以前にいただいた手紙や、お葉書など目にするともういけない。遅々として進まない。でも決めたのであるからやらねば。見かねた妻が、もう少し涼しくなったら手伝ってあげるといってくれたのが心強い。

反省はしても、この年齢まで我が人生、ほとんど振り返らず、心の内の押さえられない、自分でもよくはわからない衝動の赴くままに企画や、旅を繰り返してきたその夢の残滓が写真に残っている。十代、二十代の写真は多くはないが、三十代、特に企画者になってからの四十代の写真がたくさん残っている。我ながらよく動いた。ガムシャラという言葉しか浮かばない。よくもまあ企画が成った事実に運の強さを実感する。才能とは実現することである、というしかない。

話を戻す。これまでの終わった人生に一区切りつけたいのだ。まずは整理である。片をつけたいのである。この区切りの目処をつければ、老いゆく、(カッコつければ)未知の成熟ゾーンを迎える覚悟が深まるきがする。甘い考えなのかもしれないが。経験したことのない未知の老いの領域をこれから日々嫌でも経験しなければならない。その事をまずは厳粛に受け止め、その事から逃げず、老いを真剣に受け止め覚悟の養生を生きたいのである。

このままうっちゃっておくと、必ず残された家族が処分するにも難儀する。喜びのあとには必ず悲しみが訪れる。(喜びも悲しみも含めてそれがこの世、人生である)悲哀、苦楽この当たり前の宇宙の摂理を厳粛に受け止める勇気、覚悟を今のうちに養っておかないと、私のような弱い心の持ち主は、きっと機を逃してしまう恐れがある。それを私は望まない。

ある程度の一区切りスッキリしてからの老境、遊行期へと向かう身支度を準備しておきたい。ヶセラセラと言えるうちに。

PS 椎名誠さんの作品上映のあとのトークタイムの写真、今となっては宝の写真である。このような宝の写真の整理、アフリカの旅の写真、インドの旅の写真、家族との写真、友人との写真、ほか元気な内に整理しておきたい。

2024-09-14

その日暮らし考、老人はガマノ油をしたたらせ、爪先を意識し歩き草を刈る。

 週末おやすみの朝がこんなに嬉しいのは、当たり前だが、この未曾有うの夏のきちがいじみた暑さのなかを、なんとか労働をこなして、元気に五十鈴川だよりを打てるからである。

母の写真、この数年いつも私のそばに在る

もうすぐお彼岸だというのに、日中のこの暑さは異常気象という他はない。だがぼやいていても暑さは容赦ない。ならばどうすればいい。

生き甲斐といってもいい今の労働アルバイトを、一日でも長く続けたい私としては、私なりの対策を日々我が身に向かって施しながら、やり過ごしている。そのいちいちを綴り打つことは控えるが、その対策のお陰で、こうやって五十鈴川だよりを打つ元気をキープしている。何事も継続の上での知恵の恵みである。

家族、分けても妻がこの酷暑の夏の私の労働をいたわってくれるのがありがたく身にしみる。このようなことを打つと、やすきに流れやすい私としては妻への感謝の気持ちを縷々綴り打ちたくなるのだが、野暮なことは一切打つ気がしない。

そのようなことを打ち出したら、もうそろそろ、五十鈴川だよりはお開きにしなくてはならない。どこかに抑制のような感覚がなくなったら、お恥ずかしい限りという他はない。

話を戻す。今も続く暑さのなか、何はともあれ9月の半ばまでを乗りきった我が体に、感謝、そしてなにがしかのご褒美を与えたいという気持ちがある。今のバイト先は、中世夢が原とはまったく異なるが、広い原野での労働がいかに私にとって適材適所というしかない。私にとって誤解を恐れずに言えば、遊ぶようにフィールドを自由自在に駆け巡りながら、春夏秋冬を過ごせるという意味で、私にとってはまたとないフリーターからだ動かしバイトである。

年金生活者になると、どうしても守りに入りがちになるが、66才で巡り遇えたこのバイト先は、富良野塾と中世夢が原で体得した肉体労働の経験がすべて無駄なくいかせる、まとない晩年時間を過ごす場所としては、理想の居場所なのである。

丸6年働いているがそのありがたさへの思いは、歳を重ねるにしたがって深まっている。ましてや働き始めてから夏の暑さは年々酷くなってきているなかで、なんとかこの夏を乗りきれそうな予感がするからこそ、年よりの嬉しさは格別なのである。

何はともあれ家族は私が労働し、元気で五十鈴川だよりを打つことを影ながら応援してくれている。究極、やはり私は動くことが好きなのだと確信した。ゆっくり元気で労働ができ、家族を含めた身の回りの人が喜び、役に立てればもう十分なのである。(自分の個人的な欲望はもう十分に燃焼し尽くした感がある)

音読は個人レッスンにとどめ、あくまで自分自身のためのレッスンをこそ静かに続けたいという気持ちが沸き起こってきている。此の夏の長い労働体験は根本的にいかに生きるのかをあらためて考えさせ、酷暑のなか滴る老いの汗、命の水を補給する度に、私は生きて在ることの素晴らしさを心から堪能している。そのとき3人の孫たちの顔が時おり浮かぶ。元気になる。

その日暮らし、というものに限りなく最近憧れる、もうそれこそが願ってもない喜びなのである。それを老いというのであれば、今の私は静かにその老いゆく時間を大切に過ごしたい。古希を過ぎNHKのラジオ深夜便(特に朝4時からの明日への言葉)をこよなく愛聴しているが、世界にはなんと素晴らしき人間が存在しているか、毎回蒙が拓かれるように聞き入る。

聞き耳を立てる。老人のアンテナを立てる。その気持ちがある間は奥の細道の扉が開いてくれるかもとの、淡い幻想に浸る。汗をかける老人で在りたい。


2024-09-08

椎名誠さんの最新刊、さらば友よ編【続 失踪願望】を読み、深く打たれ、そして想う。

 今朝もなにか打ちたくなる自分がいる。この事を私は老いの煩悩の発露として、精神の調節機能としてこよなく大切な一時を偏愛する。五十鈴川だより依存症と言い換えてもいいくらいの最近である。

さて、今朝も運動公園でやく30分裸足散歩(足裏じんじん気持ちいい、大地にあんましてもらう)他のルーティンをやり朝食をすませ、なにがしかの五十鈴川だよりを打ち、日が沈むまでの一人(妻は仕事)時間を静かにすごす予定である。

ところで、今年はなん十年ぶりとかの再会が多い年にあたっている。そのような人生時間なのであることを痛感する。シーナさん、久しく直接お会いしてはいないものの、おそらく十数年椎名誠さんの本をてにしていなかったのだが、此のところ立て続けに、椎名誠さんの新しい本を手にしている。間接的に一方的にお会いできた喜びが満ちる。

偶然(必然とも思える)の成り行きで【続 失踪願望】、を今読んでいる。親友とのお別れ、さらば友よ、の文章に打たれる。私よりずっと先輩、何よりも男気がある。(私にはない)自分のことを、よたよた作家であるとのたまい、要するにバカなのであるとのたまう椎名誠さんは、やはりどこまでも私にはかっこいい兄貴とでも呼ぶしかない存在である。

私が40才の時、中世夢が原新天地で企画者として人生再出発、無我夢中、最初に企画したのが椎名誠さんの映画【うみ・そら・さんごのいいつたえ】である。その後アヒルの歌がきこえてくるよ。白い馬。ガクの冒険。4本野外で上映した。今となっては夢、幻だが、私にとっては宝というしかない思いでである。

すでにバブルがはじけ、世の中はその後長きの失われた30年といわれる低成長が続き、今現在も経済的混迷の軛は続いている。が私個人は、40代本当に仕事が楽しかった記憶しかない。あれからいく年月が流れ、あたりまえ私はもちろんシーナさんも歳を重ねた。そして今つくづく思う。無謀きわまりない野外映画の上映を実現できたことの幸福を思う。

そして年齢と共に、苦楽を共にしてきた方々とのお別れがいやでもやって来る。戦友の突然の死を知らされた時の慟哭に、胸が締め付けられる。此のような男同士の熱き情愛に裏打ちされた関係性に打たれる。そして想う、

私も限りなく失踪願望がある

私も此のような関係性を一人でも二人でも持てればと。

そして、今現在の椎名誠さんの文章に触れるながらあらためて感じ入った。これからいかに老いてゆけばいいのか、シーナさんの一文は、私のこれからに大いなる勇気、墓標を示す。シーナさんと同時代を生きられた幸運を、なんとしても五十鈴川だよりに打っておかねばならない。

要はあくまでも自然体がいいのである。一気に明るい煩悩とでも言うしかないほどの、お気軽さで私らしい在りようで、天と地の間をさ迷い歩くのがいいのである。この12年音読にかなりエネルギーを注いできたが、シーナさんとの間接的再会は、おおいなるシフトチェンジをする勇気を与えてくれる。

企画や音読に固執せず、あくまで個人的な好事家としての内にとどめ(個人レッスンと、自分自身のレッスンは続け)これからは旅、そして家族、妻や孫、大事な友と費やす時間を大事にしたいと、考えるようになってきたのである。

2024-09-07

9月になり気持ち涼しくなり夏が終わり、空気感秋を感じ、物想う五十鈴川だより。

 嬉しい土曜日である。起きて一仕事をしての五十鈴川だよりタイム。もうすっかりおじいさんの気まま五十鈴川だよりと化しているのを、私はどこかで自覚している。ままよこのままのひびの老い先だよりを、のらりくらりと打ち綴りたいとの煩悩を、自分らしく(何が自分らしいのかは置いといておく)在りつつ老いてゆきたい。

ところで9月になっても激暑は続いている。だが夜半から朝にかけては、寝苦しいことは私の場合はなくなってきた。ちょっとホットしている。それにしても7月8月の暑さは異常としか思えないほどの暑さで、72歳のこの体が良く持ちこたえたもんだと、我ながら驚いている。五十鈴川だよりを打つ気力も萎えておらず、秋を迎えられそうであることに、例えようのない、安堵を覚えている。

年齢が年齢なのだから、くれぐれも自重しなければならないのはやまやまなれど、あの暑さをしのぎ、なおかつあの暑さのなか、ずいぶん此の夏はよい本に恵まれ、よき読書体験ができたことが、逆にあのきちがい夏を乗り越えられた要因かも知れない。そしていま、遅読ではあれ、いよいよ本を手にする孤独(孤立ではない)時間が愉しみな私である。何度も打っているが狭い分野の本しか手にしてこなかったという反省があるので、秘密の扉を開く喜び、と打つと何やら妖しげではあるが、もうこれからは怪しき老人になりたい位である。怪人なん面相くらいに。

とはいっても、人間もって生まれた性がそうは変わらないのはあたりまえ、あくまでも言葉上の遊びが大半であるのは言うまでもない。が、老人の気ままな願望ではある。さて、此の夏の読書体験でもっとも嬉しかったのは(何一つ無駄な本はなく今の私にとって必要不可欠な本ばかりであった)チェーホフの作品がしみるように読めたことである。

おそらく、シェイクスピアとチェーホフは、いよいよこれから、繰り返し読み続ける、続けたい。読むたびに今の私の生活に新しい刺激やエネルギーをいただける作家に我が生涯で巡り会えたこと、例えようもなく嬉しい。息も絶え絶えの、ながいながい夏の間、次々の読書体験が私を(今もだが)支え続けたことは間違いない。だから待ち望んだ秋の到来が、たまらなく私は嬉しいのである。

年齢を重ねるごとに読書体験が血肉化してゆくかのような気さえする。それもこれも健康に動くからだのお陰である。幼少期から(家に本がなく)読書体験の極端に少ない環境に育ち、社会に出てからも生きるのに精一杯であまりにも本を手にしてこなかったという反省、いい意味でのコンプレックスが、今となっても強烈に残っている、(それが私を支えている)。

知的好奇心といえばカッコつけすぎではあるけれど、知る、学ぶ喜びは老人足りて尚、私を活性化させる。以前、労働と音読はセットであると打ったが、労働が終われば本が読みたくなり、本を読むと労働、音読がしたくなり、定期便、年に数回の旅のお供は本であり、老いゆく私の循環ライフは充実、健康であるからこそのありがたさである。

いきなり話は変わる。朝書斎の古いたまったイベントのチラシやアンケート、いろんながらくたの数々等、衣類、その他その他、一度には無理なので週末ごとに一時間程度整理整頓することにし、先週から始めた。目標は年内に済ませることである。流行りの断捨離ではない。残しておきたいものと、不必要なものとを仕分けしあくまでスッキリ整頓整頓することである。

整理整頓が苦手な私なのだが、椎名誠さんの遺言未満を読んで一念発起したのである。一冊の読書体験が私を突き動かしたのである。動くからだ、

没頭する世界をお持ちのお二人学びたい。

意識が健康体であるうちに努めて娘たちに厄介を極力(最後はお世話になるとしても)おさえておかないと、不味いと思うのである。

本以外、ほとんどなにも持っていない私であるが、私の後始末にかかる必要経費だけはきちんとしておきたいし、遺言未満(い言えて妙)最低言葉にして、とは考えている。

2024-09-02

妻と出会って37年目の記念日、椎名誠さんの【遺言未満】という本を読んだ。そして想う。

 ちょっと時間がないが、少し打ちたい。昨日は私が妻とで会って37年の記念日だった。だから今日はお休みだし、妻と二人で瀬戸内海の三原まで在来線で小さな旅にでかける前の朝である。9月になったばかりだが、此の夏3度目の小さな旅である。


還暦の時だったかいつだったか、出会ったときのことをいずれ五十鈴川だよりに打ちたいのだが、いまはまだ気恥ずかしくて、とてもではないが打てないと打った記憶がある。そして今なら打てそうではあるが、やはりまだ今は打たないでおこうと思う。いずれゆったりと時間があるときにきちんと打っておきたいとは思っている。

妻との出会いなくして、その後の人生はまったく成り立たなかったし、子供たちがそれぞれ巣立ち、晩年時間の今も妻がいない生活というものが、私にはまったくといっていいほど成り立たないということが、身に染みてわかってきている。

だからこそ、面と向かってはなかなか言えないが、五十鈴川だよりでもって、間接的ではあれ打てるときに感謝の気持ちをきちんと打っておかねばと思うし、妻との時間を大切に過ごしたいと思う私である。

野暮を承知で打つのは、椎名誠さんの【遺言未満】という本を読んだばかりだからである。此の夏、知識人として尊敬畏怖していた松岡正剛氏が80歳でなくなられた。椎名さんも今年80歳になられているはずである。

同世代の訃報を頻繁に耳にするようになり、椎名誠さんが新聞の訃報欄を意識して読むようになり、自分もまたいつ死んでもおかしくはない年齢であり、(私だってそうである)人生の仕舞い仕度としての、葬儀に関してのあれやこれや、お墓のことなどのルポルタージュ。

そして椎名さんが世界各地で自分が体を張って体感した稀な貴重な体験や、見聞したことのあれやこれや、そして様々な本を読んでの知見、その考察がのべられている。シーナ・ワールド、80歳にして健在で(嬉しく驚く)、死について、自分の始末について真剣に考察、書かれた本である。

いずれにせよ、椎名さんの本を読んで、私もまた真剣に死と向かい合う勇気を、日々養って行かないと年齢の今なのであることを痛感した。(というわけである)

ところで、ここからは9月朝2日の夜明け前の時間に打っている。昨日あれから妻と在来線で小さな旅をしてきた。家を出発したのが朝の8時前、広島の三原から船で約30分、10時半に着き、瀬戸田にある平山郁夫美術館にいった。約3時間半滞在し、瀬戸田でお昼をして、夕方5時半には帰ってきた。

日帰りののんびり夫婦在来線旅はいったいいつ以来か。五十鈴川だよりをひもとけばわかるとは思うが、ひもとかない。過去よりは今である。くどくど打たず一言出掛けてよかったことを、きちんと五十鈴川だよりに打っておきたい。

そして妻の体調のいいときには(妻が出掛けたいというときには)先ずは妻とのこれからの時間を最優先、大切に過ごすことに私は決めたのである。古稀を過ぎてからそういう思いはどこかにうすらぼんやりとは深まって来てはいたのだが、椎名誠さんの遺言未満を読んで、私もまた元気なうちに、あれやこれやの整理整頓を始め、いい意味での前向きな仕舞い仕度をやりながら、(あれやこれや考え続け老いのアクションも大事にしたい)一日一日を過ごさないと、という改めての覚悟と言うと大げさに過ぎるかもしれないが、思うのである。

それにしても、椎名誠さんの本を読んだのは10数年ぶりだと思うが、本当によきタイミングで身につまされながら読んだ。私にとってはまさにどこか憧れのような、兄貴的な身近に感じる存在の作家である。40代、企画者として再出発、椎名誠さんの映画の野外上映会and講演会を中世夢が原で何度も企画ができたこと、振り返ると夢のようである。思い付き実行して本当によかった。

企画しなかったら、シーナさんとお会いすることもなかった。そしていま、【遺言未満】を読み、本質的にいいタイミングで椎名誠さんに再会できたように、一方的に感じている。