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2019-08-03

こころがようやく普段の生活に戻ってきました。

猛暑が続いている。ふるさとから戻ってきて2日午前中働き、今日明日は仕事なし。涼しい午前中、あれやこれやがやれるのでうれしい。とはいってもすでに蝉の音が聞こえる。今日も暑くなりそうである。

でも梅雨明けから、何とか体調を維持しながらこの暑さをしのいでいるので、何とかこの調子で、この67歳の夏を乗り切りたいと考えている。

さて、あまりに暑いので昨日アルバイトを終え、帰って昼食後お昼寝をした後、水浴びをして、図書館に行った。市民手作りの映画に出演することになったことはすでに書いたが、その撮影の初回が8月11日に行われるので、ゆっくりと涼しいところで台本を約2時間かけて読んだのである。

詳細は割愛するが、教頭先生役で管理者側、生徒を心の底で熱愛しながら、表面は非情なまでに、冷静にことを思慮深く生きる(生きざるを得ない)、難しい出番は少ないが重要な役である。

全体を先ず俯瞰的に読み、自分の出番の表面のコトバだけをとりあえず、書き写した。今日も含め、これからコトバを体になじませるために、覚えるのではなく、身体に入れることにした。音霊にすがって繰り返し読む。このことは遊声塾のレッスンでやっているのでとても役に立つ。

役の存在感に迫るための準備を自分なりに進めていきたい。次回の撮影は9月なので、そんなにハードスケジュールではないので、今の普段の暮らしの中で、万全の準備をしたいと考えている。

岡山での弓の稽古にまる2年以上(週に2,3回)通っていた時間が、この数か月ほかのことに使えるようになったので、実に肉体的にも精神的にも楽になった。身体に無理な負荷をかけてはほかのことが手薄になる、と思い知った。
私が大好きな作家です。

読書の時間も増えた、自分でいうのもなんだが、本が落ち着いて読めるし、読めば次々にほかの本が読みたくなるといった好循環が以前より続くようになってきた。

作者が精魂傾けて、何年もかけて書かれた御本を、襟を正して向かい合いながら丁寧に読むことの有難さが、いちだんと染み入る年齢になってきたのである。今この時代に生きていることの、生活上での共感が想像力をもって、首肯できるような、フィクション、ノンフィクション、伝記などの作品に出合うと、何故か元気になる。

だから、私は本にすがり、あらゆる私に活力を与えてくれるものにすがる。最近思う、自分はシェイクスピア作品をはじめ、何かに日々すがって生きているのだ、と。都合よく自分にあらゆる想像上のビタミンを取り込まないと、身体が酸欠になる、気がするのである。老いの酸欠を可能な範囲で防ぎたいのだ。

五十鈴川だよりを書くのも、きっと体の血流の意識の流れ、酸素の供給の加減を、まるでおまじないのように、図っているのかもしれない。さあ、今日は何にすがろうか。

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