今は瀬戸内市だが、昔の邑久町で、毎年31年間にわたって、開かれている喜之助人形フェスティバル、お恥ずかしいがゆくのは今回が初めて、働いていたころは土日が勤務だったので、ゆくことは叶わず、リタイア後も機会を逸していたが、甲子園の高校野球観戦と同じように何故か見ておこうと、わが内なるものの怪が騒いだのである。
プロアマ問わず、瀬戸内市文化センターの建物の中のいろんな空間で、多彩な演目が目白押し、とても全部見ている時間がないので、焦点を絞ってロビーで、かわせみ座の台詞のないポエムでファンタジーな人形劇と、ホールで江戸糸操り人形の2本を観た。それぞれ素晴らしかったが、江戸糸あやつり人形【瞼の母】が素晴らしかった。
江戸糸操り人形なるものをもちろん私は初めてみた。まず獅子舞とかっぽれを単独の芸で披露された(まずこの芸に私は打たれた)のちの2部は長谷川伸原作の瞼の母、何と人間のお芝居と江戸糸操り人形のコラボレーションにまずびっくりしてしまった。
時間の都合で、ダイジェスト版での上演ではあったが、客席数は少なかったものの笑いの連続で、私を含めた観客は、軽妙な大衆軽演劇の役者二人と人形二人のなんとも形容できない共演の妙に、大笑いしながらも深く感動したのである。
若い時には見えなかったものがようやく見える、感じる。 |
考えてみると、私は大衆演劇なるものをお恥ずかしくも見たことがない、もちろん江戸糸操り人形も見るのが初めて、何事も、昨日も書いたが生に勝るものなしである、とつくづくあらためて一期一会の重みを実感したのである。
人形を魂込めて操る、人間の黒子の動きに感動し、その上役者との共演では人形を操りながら、台詞も語るのだから脱帽する。また、大衆軽演劇の役者も素晴らしく、阿吽の呼吸の掛け合いに、魂を持って行かれたのである。一座の操る方が作られた人形も独創的で刀で伐られると胴体が別れたり、素晴らしかった、表情も。
見終えて来てよかったと何度も心の中でつぶやいた私である。今日も午前中観にゆく。私は思う、こころが何かに揺れ動くうちは、揺れるがままに、おもむくままに、身体の中を風が吹き抜けるように気持ちのいいことに触れることの、つまりは生きていることの醍醐味にまたもや夏も終わり間近に出会ってしまったのである。
それも、家から15分のところで。チャンスを見つけて浅草の木馬亭にも、大衆軽演劇を観に行きたくなったことを記して、今朝はこれにて。
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