切りなく垂れ流される、世界の重要なニュースなどはそっちのけの、国内の繰り返し視聴率偏重の、私にとってはどうでもいい引きも切らない暗澹とする出来事の連鎖、できちゃった婚などが、公共のNHKニュースで報じられる。その間に肝心な大事な出来事は闇に葬られてしまう、そんな気がする。伝えられない不都合な真実をこそ果敢にニュースにする、気骨のある報道陣はいずこへ。心ある人たちはUチューブなどできちんと情報を得ているだろうが、いまだ大NHKニュースしか見ないような高齢者、ほかがわんさかいるのであるから危ないのである。懐疑的に見る、自分もまた疑う。
ブラジルの熱帯雨林の恐るべき火災などをこそきちんと伝えてほしいのであるが、どうも肝心なことがおざなりになり、知りたくもないようなことを、貴重な時間帯に大電波を使って報じるセンスには、堕落という言葉しかにわかには思いつかないような体たらく感を私などは感じている。一面的に編集されたメディア報道の一切を、真に受けてはいない私である。そそくさとテレビを切り、気分転換、ささやかに沈思黙考深呼吸をしないと、何か危ない、時代の足音が近づいてくる予感に、耳を立てなくては、と個人的に思う。
テレビでは報道を目にしていない、痛ましい。 |
五十鈴川だよりで何回か書いているのだが、自分が家庭を持ち子供に恵まれ、二人とも良き伴侶と巡り合い、結果、父親としての役割をこのような形で果たせることに関して、正直どこかいまだに、ぴんと来ないような、私にしかわからないある種の感慨に襲われるのである。
そのような感慨はともあれ、妻は男親の私と違って、こころからうれしそうである。母もまたしかり。男と女はやはり決定的に違うと感じてしまうのは私だけか、喜ぶ妻と母をしり目に、でもやはり心の底でよく無事に育ってくれた嬉しさが、父親としての最低のことはやれた安ど感に浸るのである。
時は流れ永遠に移ろう、幾山河をこの世に生れ落ちたものは必死で生き、子孫に何かを伝えねばならない。
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