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2019-04-24

雨の朝、五十鈴川だよりは静かに流れる。

雨、つまり一日フリーである。夜は遊声塾のレッスン、それに向けて一日を大事に過ごそう。平均すれば、午前中のアルバイトが週に四五かい、午後はフリー。去年の夏の終わりからこのようなペースでの今の暮らしが、穏やかに流れている。

とにかく、蒼穹(曇りの時も)の空の下、身体をトレーニングのように、かなり意識して動かしているせいもあるが、アルバイトをしていなかったときよりもはるかに調子がいい。そして、実によく眠れる。

年齢が経るにしたがって、肉体労働というものが やがてはできなくなるのかもしれないが、今のところ有難いことに、苦も無くこなせる体が未だある我が身が有難い。

中世夢が原で働いていた(22年間の多岐にわたる肉体労働のおかげである)時から今に至るも、早寝早起きのわたしであるが、還暦を過ぎてからは、いよいよもって早起きになってきた。休日の午前中は初老男子の私には至福の時間であるが、これを味わえるのも、短いとはいえ働いているからである。

目から鱗が落ちる対談、読書の醍醐味。
18歳から世の中に出て、夢を追いかけながら、軸足は地面を踏みしめ、働きながら何とか生き延びてきた私、やはり半世紀使ってきたわが体は、働くということが好きなのである 。(と今更ながら改めて自覚する)

そして想うのだ。生きているということは、本を読もうが、文章を書こうが、何よしようとも、心と体が連動して、つまりは動くことなのである。その動く躰を研ぎ澄ます、そのための方図として、血のめぐり代謝の循環を良くするために、読み書き、観察、思考、思索するのである。
 
よく働き、よく学び。そして時折旅に我が身を解放し、遊ぶ。これが目下の私の初老生活である。

日々新たな未知の老いの領域を、情熱の湧くことを継続持続 しながら、移り変わっていく自分を、五十鈴川だよりを書きながら反芻し、見つめてゆけたらと願うのである。



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