一口に30年間、37歳で父親になった私が67歳になったのである。妻と共に歳月を重ねた。様々なことが去来するが、世の中のあまりの表層的な変化推移速さに、(今も戸惑いながら)も関わらず、事我が家に関しては全員元気に大過なく過ごすことができていることに関しては、ただただ母、妻、娘たち、義理の息子たちに感謝するだけである。(そしてご先祖に)
GWくらい普段手にする機会のない本を読みたい |
この間の日々の変化、内なるわが揺れる思いがささやかに、お恥ずかしくも折々吐露されている。(はずである)今を生きている、日々のつれづれに些少の敏感さを、自覚し続けたいもの、という悪あがきのようなもの(煩悩だろう)がぬけ切れない間は、つづりたい。(と考える)
さて、GWも4日目、今日の午後一足先に次女が帰ってきて、夜には妻も帰ってくる。あっという間にひとりでの生活が終わるが、こんなことをおめおめとつづるのは厚顔も過ぎるとは思うものの、妻あってのわたしなのだと痛感するのである。
だから今後も、それを思い知るためにも、折々妻には自由にあちらこちらに出掛けてもらいたいとさえ思う私である。わずか4日ではあったが、好き勝手に過ごさせてもらった。
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昨日は 弓の稽古に出かける前、各部屋の雑巾がけをしたりしたのだが、私の場合GW前半は家で静かにすごし、GWの後半は数日ではあれ故郷に帰り、ご先祖にまいり、かの地一帯で静かに過ごしたいと思っている。
いずれにせよ、明日からは令和の時代がやってくる。どのように令和の時代を生きてゆきのか、各人各様が問われる中、各人各様の一人として自分もまた、書ける範囲で老いを見つめながら、折々の五十鈴川だよりを綴れればと願っている。
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