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2019-05-01

令和の始まりの朝の、五十鈴川だより。

令和最初の五十鈴川だより、である。私はどこから来て、結局どこへ向かって(生きて)ゆくのか、などと、柄にもなくこのところ真面目なことを考える時間が減らず、老いが深まってゆくにつれて、老いゆく思索をつづる、五十鈴川だよりに今後ますますなってゆく我である。(当たり前死に向かって生きてゆくのである)

それもこれも、生きてゆく中で日々細胞が生まれ変わる様に、おのれの在り様も不確かながら、確実になにがしかの変容を生きている(いきてゆかざるをえない)からに違いない。
 おのれの寿命などというものなどは確実に不確かであるが、昭和に生まれ、平成を生き、子育てを終え、これからの令和の時代をどのように、あらためて日々生きてゆこうかと考えてしまう。(いまはただ思い考え、つたなき一文を綴れることが、どこか愉しい)
先日の輪読会でI先生に頂いた坪内逍遥訳のシェイクスピア研究のしおり

とまれ、昨日の今日、だが何かが微妙に、書いていて変わったのだという気がするのはなぜなのだろう。たまたまGWと重なり、仕事がないせいか毎日のように五十鈴川だよりを書いているが、書くことで、内からコトバが湧いてくる、そのことにどこかしら、つたなき恥ずかしさも覚えながらも、厚顔につづる我がいる。

話を変える、昨日妻と次女が帰ってきた。妻を迎えに夕方岡山へ行き、そのまま岡山市内の、とある中華のお店で、母と妻と次女4人で平成最後の夕食を共にした。母は昭和8年生まれ、元気に令和の時代を迎えることができたこと、我が家にとってはささやかにおめでたくもうれしい夕食となった。

わずか4日間のひとり時間はあっという間に過ぎたが、妻の不在で改めて妻の存在の大きな有難さを感じ、いよいよこれからの夫婦時間というものを、いかにともに生きてゆくのか、を考える良き時間ともなった。

さて、今日は夜GWにもかかわらず、参加する塾生がいるのでレッスンする。たまたま令和の始まり初日が、レッスン日と重なったのも、私の中ではこじつけでも意味を成す。GWのさなか、声を出す塾生がいるという有難さを感じる。

大変貴重なものもっと歳を重ねたらゆっくりと読みたい

そして、明日からは私ひとり故郷へ里帰りする。老いが深まがりゆく中 、わが心はなぜ故郷を目指すのか、私にもわからない。

数日過ごしてまた帰ってくるのであるが、折々足がどうしても故郷を目指す。身体が動くうちは年に数回は、これからもふるさとの空気を吸いに帰り、五十鈴川がある限り、そのほとりに立つだろう。

妻に今はまだそのようなことは、考えなくていいと叱られるが、(考えるのである)人生の最後は五十鈴川の近くで、終えたいと願い、思うのである。

だがその時までは、一日でも長く五十鈴川だよりを綴るためにも、孫の望晃くんと五十鈴川で遊ぶためにも、与えられた令和時代時間をしっかりと生きるおじじでありたく、思う。



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