遅く寝たのだがすっきりと起きた、故郷を目指す前の、ちょっとの五十鈴川だよりタイムである。3泊になるか、4泊するかまだ決めていないが、その間五十鈴川だよりはオフである。
ますます亡き父に似てきた私である(DNAか) |
ふるさとへの往還を繰り返しながら、今を生きる己を静かに見つめなおす。見つめなおす最適な場所が 、私の場合ご先祖に直結する五十鈴川なのである。
生理的に身体の奥が、いまだ疼くのであるから しようがない。川の流れではないが、おのれの流れにゆだねるしかないではないか。自然に身をゆだね、あるがままに、ゆく川の流れは絶えずして、もとの水にあらずと、という心境。
昔からすぐれた諸行無常感を、先人がこのように書いておられるのに、いたく感心し、まさにその通り。すべては一所不定、移り変わり行き、久しくとどまりたるためしなしである。だが、目には見えないが、その中に普遍の何かをとらえ、見ようとする魂が感じられる。
同じように毎年帰省しながら、何かが微妙に推移、老いつつもなおオーバーだがどこか生まれ変わるかのような感覚にとらわれる、(すがる)ありがたい私の回帰旅である。
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