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2019-05-12

桑江良健(画伯)氏が我が家に来られ、旧交を温めました。

10日夕刻、岡山に桑江良健氏(沖縄が生んだ畏怖する画家、私の友人である)が来られた。

氏に会うのは、2年前我が家でやったミニの展覧会 以来である。岡山駅で待ち合わせ、いつもの私の愛する、路地奥の小さな中華の店で軽く夕食をして、近くの居酒屋で九時過ぎまで、旧交を温め歓談した。

氏は私より3歳年上、 氏の長き足跡は端折るが、青年期建築の仕事を忽然と辞め、日本を脱出、行き着いたパリで画家を志す。パリのルーブルほかの美術館で先人たちの画業を長年にわたって独自に研究、当時としては極めて珍しいルートで北アフリカ、アラブ諸国を旅しながら、イランからアフガニスタンのカイバル峠を超え、アジアへ入り、陸路で数十年ぶりに沖縄に帰国、腰を据えて画業に取り組んでおられ、今年古希を迎えられた独自、無比の画家である。

出会いは、奥様の沖縄の人形劇キジムナーを、中世夢が原で企画したことによる。奥様の純子さんは若き日、台湾の人間国宝に弟子入りし、指人形を習い、沖縄に戻って地元に伝わる民話から物語を創作、人形作りから企画演出まですべてをこなし、良健さんは、画業の傍ら指人形の相方を務めていたのである。

桑江良健さんが娘にプレゼントしてくれた絵
以来つかず離れず、 20年以上の交友が続いている。なぜ交友が切れないのかは、判然としないが、沖縄人としての矜持、アイデンティティーをゆるぎなく絵の中に込めておられる、そのエネルギーの純粋さが、私に伝わるからである。

それは、まったく奥様の純子さんにも言える。ともあれわが拙き五十鈴川だよりにご夫妻のことを、わずかでもつづれるなんてことは、禍福である。

沖縄の名護市、済井出に住むお二人の住居は個人美術館でもあり、氏の絵と純子さんが作られた、人形が常設展示されている。

我が家に泊まり、昨日は午前中ずっと多岐にわたって話に花が咲いた。昼食は外で穏やかな陽光の中、八朔の樹の下で妻と3人でとり、良き思い出ができた。

それと何としても記しておきたい。氏はこの夏結婚 する次女のお祝に一枚の絵を下さった。人との縁、出会いのありがたき不思議さに感謝するばかりである。

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