2月に帰郷した際に訪ねた、ご先祖のルーツの地で思わず出会えた同姓の日高ご夫妻のことは、何度も五十鈴川だよりにその後書いているので、五十鈴川だよりを読んでおられる方はご存じかと思う。
私の生まれた家(いまはアパートが建つ)から、私が泳ぎを覚えた五十鈴川まで歩いていない2キロくらい、あの暑い小学生低学年、多分2年生か3年生のころ、往復兄たちと歩いて泳ぎに行き、兄たちは深いところで、私は足の届く浅いところで、繰り返し犬かきの訓練、やがて平泳ぎ、クロールと誰にも教わらず、見よう見まねで独学した。(この時の体験が独立独歩的な精神的な何かを植え付けたのかもしれない)
その五十鈴川上流、25キロくらいのところにわがご先祖の地があり、日高ご夫妻はまさに五十鈴川のすぐそばに家がある。
2月の帰省の最後の日、どうしてもご先祖の地をさすらいたく、いまだ血が騒いだ私は、姉夫婦と訪ねたのだが、老齢に入った我が身なれど、あの夜の出来事ならぬ、【あの昼の出来事】は、けっして忘れることはない。オ-バーではなく先輩ご夫妻の、つつましやかな、足るを知る者は富む、暮らしぶりは、深く私の胸を撃ったのである。
父が少年期を過ごした、宇納間の同郷の地にかくも豊かに、きちんと生活しておられる方に出遭えたこと。父があの世から、老いゆく私を導かせたのではないかと、想えるのである。
ふるさとが生んだ若山牧水帰省旅でゆっくりと読みたい。 |
これからのいよいよの晩節時間をどのように生きてゆくのかを考えてゆくときに、大きなエポックになるやもしれぬといった あの日の出来事、そういうことで、ラインでいきなり日高E子さんに(私より先輩)帰郷したら再びお会いしたい旨の電話を昨日いれたのである。
一度しかお会いしたことがないにもかかわらず、会話が途切れず、E子さんの懐かしい宇納間弁がわが耳に響き渡った。故郷は遠きにありて思うものというが、初老男のノスタルジーと笑われようが、少年は荒野を目指し、初老私は故郷を目指すのである。
それもこれも、故郷で快く私を受け入れてくれる、姉や兄たちが元気に存在してくれるからである。兄たち夫婦や姉夫婦のおかげで、娘たちも成長期の折々何度も五十鈴川で泳いだ思い出もできた。(これからは望晃くんを連れて帰りたい)
言葉では言い尽くせない、老いの身の情熱は、いまだ原点帰りの帰郷旅に私をいざなう。だがそれは単なる回帰旅ではなく、普段の西大寺での日々の暮らしを、よりよく 生きるためのエネルギーとなって、初老男の今を導くのである。
心からくつろげる場所と人が現世に在るということ、たまにだからいいのである。日常と非日常の往還の加減按配、帰省旅は私にとってはたまさかの夢のような小さなお祭り、なのである。
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