とくに4幕5幕は 、自分が音読するところはすでに筆写を終えていたし、ロミオやジュリエット、またロレンス神父、乳母などの長いセリフの筆写も終えていたので、この速さで終えることができた。
久しくこんなに文字を(ボールペンだが)書いたことがなかったので、右肩の背中が少々凝ったのでお風呂に入ったのち、我流体操で背中をもみもみした。おかげですっきり目覚め、おかげさまで今日も何やら快調で、五十鈴川だよりが書ける嬉しき日曜日の朝である。
妻は休日は朝が遅いので、私は安心して五十鈴川だよりで心身のバランスを整えることができる。日々是好日的な、書けることが思い浮かぶ、書ける範囲での安心わがまま 雑記日録、五十鈴川だより。
あるがまま、流れるままに流れよ、という わが部屋、方丈の静かな空間で、つれづれの湧き出流、文の流れに身を任せるいっときが、初老男のささやかなる楽しみである。
五十鈴川だよりを書くことを思いついてから、8年目に入っている。時代の変容、また家族の変容、時と共に万物が変容する。私自身、身も心も随分なる変容、移り変わりを自覚しながら、日々を生きている。(生きるしかない)
私はこの方の生き方が大好きである(この方も私のお手本) |
ところで、昨日妻と母と私の3人で、私がアルバイトをしているさきの、小さな空き地にジャガイモを植えた。(今日は枝豆を植える予定)時期としては遅いのだが、自由に使っていいとの承諾が得られたので、勉強のつもりで。
家から近いし時間を見つけて耕し、すでに肥料もまいて土づくりを済ませていたのである。
もちろん、先生はわが母である。5月母は86歳になる。いまだ短時間だが、鍬を持ち畝をきることができるくらい元気である。元気でひとり暮らしを持続しているだけでも、見上げた存在である。原始から女性は強靭である。(それに対して男の存在の弱さ、私のことです)
母の指導の下、私は体を動かす。母は言う、母の家の菜園場は、いずれあなたたちがやりなさいと。私は母の言葉に素直に従い、老いの行く末、母を指南としたいと考えている。
母は家族の役に立つことに生きがいを見出している。このような存在が手の届くところにいるおかげで、有形無形私は感じ言って、影響を歳を経るに受けている。
身近な異性である母からの影響は大きい。母のように日々を生きられれば、何と穏やかになれることか。このところ毎週末、昼食は3人で我が家のご神木の八朔の木の下、外でいただいている。
労働の後の、最初のビールを一口飲みほしたのちのははの笑顔は、まるで菩薩である。いよいよ母なる菩薩との時間を、妻と共に大事に過ごしたいと 念じる私である。
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