養老先生の本は難しくても面白い、繰り返し読む。 |
夕方雲が多く月の出を 眺めることができなかったので、満月は月に一度しか拝めないので、平成最後の月の見納めをした後の五十鈴川だより、それも真夜中の。
このところ、五十鈴川だよりを書く時間を、ロミオとジュリエットの筆写時間に充てていたので、このようなことになったが、今の私の一日の時間の過ごし方では、これも止むなきことである。 (とにかく無理をしなくなった、疲れたら寝る)
何度もかいているが、一日の時間は決まっている。この年齢になると余計にしみてくるのだが、あれもこれもはやれない、できない私である。去年のリア王から長いセリフを書き写すことを始めたことはすでに書いたし、今年もロミオとジュリエットのいろんな登場人物の長いセリフをすでに小さなノートに筆写(その部分は割愛した)していたので、思ったより早く筆写が進み、すでに5幕に入ったので、この調子ではこの数日で全幕筆写が済みそうである。
これまでの自分の人生時間を振り返るとき、生き急ぐかのように動いて何かを為そうというような、いわば貧乏性の 性癖傾向が多分に(いまだにあるが)ある我が身を自覚しているが、寄る年波の中で静かに自分と向かい合う時間を、ことのほか大事にするようになってきた。
そのことに関しては、いろんな要因が複雑に絡み合って、思い付いたのであるから、ロミオとジュリエットの全幕筆写は、静謐な時間の過ごし方として、私に落ち着きの一時を与えてくれるし、何よりも作品の言葉をより丁寧に熟読できる。(ことをあらためて実感している)
一郎選手がおっしゃっていたが、一番の近道は遠回りすることだと。何をせくことがあろう、この年齢なのである、その中で日々を努めて自分の好きなこと、情熱が湧いてくることに時間をさけるということに、自然でありたいと思うのである。
時間がかかっても、丁寧に物事に向かい合うということの大事をこの歳になり(もっと早く気付くべきであったと思うくらい)一段と思う。
筆写が済んだら、いよいよ6月の発表会まで、時間の許す中で、登場人物のセリフを集中して、反復声出し稽古をするのみである。
このところ最高の時節、朝夕のどちらか往復歩く時間も入れ、運動公園で週に四五かい最低 一時間の声出しを四月から始めている。
暖かくなったので、運動公園についたら裸足になり、つま先で地面を踏みしめながら声を出すのが私流である。裸足は本当に気持ちがいい。裸足の青春ならぬ、老春である。
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