私も含め7名で、私の人生を変えたといってもいい作品、ロミオとジュリエットを音読する。私は大公、ジュリエットの父、ロミオの敵役の思春期のティボルト、ピーター、小姓、などを音読朗誦する。(ちょっと大変であるが、楽しもうと思っている)
塾生も色んな役を音読する。だが、私の思い入れの深い作品である、ロミオとジュリエット だけは二人の塾生(男女)に一役だけ音読してもらう。主役・思春期の二人を音読するには大変なエネルギーを要するからである。
純粋極まる、死に向かって疾走する若き二人のエネルギーは半端ではない。出逢ってわずか4日間で生命を燃焼しつくす二人。何回音読しても、ロミオとジュリエットの初々しいというしかない台詞、言葉の響きは、いまだ私の心を魅了する。
また魅了されなかったら、シェイクスピア遊声塾は持続できない。シェイクスピアが創造した、魅力極まる多くの作品の人物像を、この6年間音読に挑み続けて倦まないのは、音読することで、役の人物から、私自身がエネルギーをもらっているからだと思える。
いずれにせよ、何度もかいているが、私自身の日々の暮らしの中にしかない現世を、シェイクスピア作品を音読することで、オーバーに言えばすがって、繰り返し新鮮に現世を生きなおしているかのようなのである。
亡き父の硯を使って墨をすり書く、古い筆も捨てられない。 |
そこで、昨年のリア王から部分的には始めたのだが、今年からもう一歩深く読み込むために、作品を丸ごと全部、書き写すことにしたのである。数か月かけて歩くように、修養という意味も込めて、四月一日から始めている。
今日で一週間になる。だんだん面白くなってきつつある。月に一度は必ず筆でも(筆ペンではない)書く時間を 設けている。
世はAI時代である(クローン人間も生まれそう)、なにもかにもが速きことが善であるかのような時代の趨勢の中、私は老いてゆく中でこそ、ゆっくりとゆく、ゆっくりとしかできないことの中に、老いの幸徳のようなものが、見つかるやもしれぬとの淡き望みを持つのである。
デジタルITにはとんと不向きな体質であるが、幸い手間暇かかることは、ゆっくりと好きになりつつある。以前のわたしとはまるで違ってきつつある。人間は変化する。そして自分の体が素直に喜ぶことにこそ、残り火の情熱を傾けたいと願うのである。
人生の下り坂、注意深く落ち着いてロミオとジュリエットを書き写せる今こそが、私には有難き贅沢な時間なのである。
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