今日は塾生の参加はないが、私を含めて前回と同じ8名での輪読会になりそうである。ほとんど宣伝もしていないのに、何とはなしにころ合いの人数が集まっていることに関して、ただただありがたい。
もし輪読することを始めなかったら、塾生以外の方とシェイクスピア作品を音読することはなかったかもしれない。それになかなか普段読む機会のない、ほかのほとんど知られていない作品を音読することが、シェイクスピア遊声塾だけでは不可能であっただろう。
なぜこういうことを始めたのか、後付けの理由は何とでも付けられるが、ことさらの理由はない。遊声塾を始めた時だって、何かを企画したいと思った時だって、私の場合ことさらの深い理由などというものはなかった。
妻が孫の望晃くんのために作った名札 |
あえて言えば、山があるから登る、シェイクスピア作品を音読することは面白いから 、と言うにとどめたい。
一作品、一作品、縁のあった方たちとシェイクスピア作品の魔力的な魅力を少しでも体感したいと、今は思うだけである。
半世紀前の高校2年生の時に、フランコゼフィレッリ監督のロミオとジュリエットを見たことが、私とシェイクスピアの邂逅だが、(途中30年読まなかった)いま再び、音読をはじめて7年目、いよいよこれからの晩節時間、先のことは考えず声の出る間、よしんば大きくて、深い呼吸ができなくなっても、音読がやれる間は老いの幸徳時間を過ごしたく、ささやかに大地に声を放つように、生を確認するかのように、音読したい。
まずは健康に第二回目の朝を 迎えられたことに感謝、【十二夜】を音読するのは何年ぶりか、ともあれ初めて読むような気持で、今日集えた方たちと音読したい。
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