今後も繰り返し書くことになるかと思うが、世の中に出てから演劇などという、想えばあまりに不安定な世界に十数年身を置いていたがために、よもやまさかこのように普通に家庭を持ち、子や孫に囲まれてのお正月が望めるなどとは、思いもしなかった私である。
本質的な事はともかく、人間は歳と共に外見も中身も、環境も含め多様な関係性で、まるでカメレオン(私の場合)のように変容 してゆくことを、ことさらに実感している。
若い時に、自分が望んだとはいえ、あまりにも背伸びを、挑戦を繰り返した(いま振り返るとそれが結果的にはよかったといえる)がために、幸福感のうすいみじめな生活を余儀なくされたが、今現在のあまりに普通での人並みの暮らしが、にわかには信じられない私である。
レイさんと娘たちがプレゼントしてくれたキンドル |
37歳の時娘に恵まれ、私の中で何かが壊れ、新しい自分と巡り合い(今考えれば)その後は脇目もふらず子育てと思いもかけぬ仕事に邁進し、いつしか演劇的世界のことなどとうに忘れていた。
子育てに一区切り、61歳で企画者としての仕事にも一区切り、どういう風の吹き回しか、再び若き日情熱を傾けた、シェイクスピアの日本の翻訳された言葉を声に出し続けて丸6年がすぎた。
若かったあのころ、私にとっては大変な生活ではあったが、その間に学んだことが、今の私の初老生活の核になっている有難さを、深く痛く感じている。
ギリギリの生活の中で身体を通して学んだことや、つかんだことは、ヒトの体の奥深くにしっかりと根付いているのを実感する、無駄飯は食っていなかったのである。
一回こっきりの人生を、まるでフィクションのように、夢とうつつを往還し、演劇的に生きることの豊かさ の方法のようなものを、いよいよもって自由に、老いてゆく時間にこそ大事にしたいと思う。
そういう意味では、若いころの苦労は買ってでもせよと、今は亡き父がよく口にしていた言葉の重さの意味を、ようように感じている私である。
考えてみると、四捨五入すれば古希が間近に感じられる年齢に私もなってきた、そのことをどこか他人事のように感じながらも、時折冷厳に時が流れている現実を今更のように厳粛に受け止めている。
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