わずか二日半の東京旅、着いて日曜日の午前中 娘たちと朝食をするために、神田のホテルを早朝に出て、都心散策を楽しんだ。
大手町から皇居前、桜田門、三宅坂から麹町(この近辺の会社で妻は働いていた)まで歩き、そこから地下鉄半蔵門線で渋谷に出て、井の頭線と京王線を乗継、娘の暮らす稲城までゆき、束の間東京家族とブランチを過ごし、とんぼ返りで両国に向かったのである。
健康であるからできるのだと思うが、18歳で上京後暮らした場所を、訪ねたくなる自分がいるのは、きっと年齢的に過去を反芻する余裕のようなような感情の表れであると、自分では思っている。
どこか今現在の暮らしに余裕がなかったら、(いろんな意味で)東京散策は不可能である。神田、水道橋、飯田橋、お茶の水、銀座、あの界隈はスマホがなくとも、体の中に未だ地図がある。
ロンドン自費留学を思い付き、3年近く当時水道橋に在った旭屋書店でフリーター生活、週に3日、雄山閣(いまもある)という出版社で宿直のアルバイトもやっていた青春真っただ中、早朝皇居一周のジョギングをたまに私はやっていた。
東京堂書店のブックカバー(めったにカバーをしないのだが) |
その時の記憶が、きっと今回神田から麹町までのおおよそ皇居半周を歩かせたのである。
今後、きっと上京するたびに、歩ける間は東京ウォーカーになりそうである。何せ私にしか感知しえない、思い出がぎっしりと詰まった土地、時に苦しく苦い青春時代特有のおもいでまでもが、今となってはノスタルジックによみがえるのである。
老いたのであるという自覚と共に、歩けるうちにいろんな記憶の整理確認をしたりしながら、いよいよこれからの人生時間をこそ、きちんとしっかりと歩まねば、との思いが私をして、歩かせているのだと思う。
お恥ずかしき、おじじの青春時代を望晃くんに伝えたいとの思いもどこかにあるかも。いずれにせよ、私は歩くのが嫌いではない。
東京は、私にとっては限りなくアナーキーになれる魅力的な大都市である。若い時には生活するだけで精いっぱいであったが、今は足の向くまま、老い楽街歩きが楽しめる。
旅の醍醐味は私の場合、身軽な服装で、情報を追わず、まったく何にも拘束されず、おのれの体を動かし、視野に入る近景遠景に身をゆだねることである。必ず意外なことにであえる。芯からの解放、たまさかであるからいいのである。
ところでこの数年、必ずゆくところに神田の東京堂書店がある。カフェも併設されているので 買った本が静かに読める。近くには岩波ホール。(今回もグルジアのフィルム、ブドウ畑に還ろう、を見たが面白かった)
神田には、上手いカフェや手ごろなランチの店が狭いエリアにひしめいてある。犬も歩けば棒に当たる、的な旅こそが私は好きである。
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