一昨日から本格的に普段通りの暮らしに戻りつつある。昨日は夕方今年初めて弓道場に行き、たまたま私一人だったが約一時間弓をひいた。(空に瞬時三日月が見えた)
もう間もなく弓を始めて2年になる。ようやっと的前に一人で立てるようになったことに、いうに言われぬ、私自身の思いがある。
一人、的前に立ち、まるで年齢にあらがうかのように背筋を伸ばして、身体とと心を的の中に見据えて矢を放つ。(あらゆる負荷が体と意識にかかる)
なかなかに的には当たらない。ただただ現在の持てる力を振り絞り的に相対する。このひとり時間がなんとも言えない心の落ち着きを私に与えてくれる。
今年も何とか週に数回、道場での時間を持ちたいと思っている。弓は私に感覚を研ぎ澄ます修養の一時を与えてくれる。いやでも自分と相対するようになる。弓を始めなかったら味わいえなかかった感覚である。
さて、今夜から遊声塾 のレッスンが新たに始まる。今現在の体と心で、今年も可能な限り新鮮にシェイクスピアの言葉を声に出してゆこうと行こうと思う。
シェイクスピアの言葉をより深く落ち着いて体感するために、長いセリフや気に入った言葉を書き写すことを、昨年のリア王から始めたのだが、今年も可能な範囲でロミオとジュリエットの登場人物の長い言葉を書き写すことを継続したいと思っている。
生きたいように生きるがよろし、私の場合は一生活者として。 |
だが、いささかの絶対矛盾かもしれないが、本質的には怠惰でいい加減な私をどこかに自覚し続けながらも、18歳から世の中に出て何とか生き延びている私である。
その中で今私が一番大切にしたい(している)ことは、トータルに普通の生活者として極めて普通に生きることである。
若い時には、芸術や文化的と思える世界(先日も書いたが結果的にそれが良かった)に、逃げ込むかのように生き急いでいたが、それは中世夢が原退職と共に卒業した。
この6年ゆっくりあらゆることをリセット。18歳には戻れないが、気持ちは原点帰り、まずは身近な家族を中心にしての 、一庶民としての生活者になる。(つもりだ)
普通ということは、どのようなことが普通であるのかのことはさておくが、私なりの普通を生きると思うだけで、芸術や文化的な事には生活者として(の視点で)かかわってゆくということである。
素晴らしい芸術や文化遺産ははシェイクスピアを持ち出すまでもなく、燦然と 世界の宝としてそこにあるのだから、一生活者に滋養を与えてくれる芸術や文化をこそささやかに、限られた時間、地に足をつけて今年も学んでゆきたいのである。
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