夢が原退職後 、徐々に徐々に母とは関係性が近くなり、最近はかなり冗談を飛ばしあえるくらいの中になってきつつある。とはいうものの義理の母なので、実の母のような言葉遣いにはならない。
もうすぐ、84歳(85歳ではなく、私が間違えていた)になる母だが、いまだ自転車に乗って我が家にやってくるし、私に対しても、誰に対しても気を使い、一人生活がいいと、いう自立高齢者である。
高齢者に関する暗いニュースが枚挙にいとまがないくらいのご時世だが、事我が家に関しては有難いことに、いまは無縁である。
だが人生は一瞬先はわからない。そのことに思いをいたさないわけではないのだが、とりあえず今は有難きかなというほかはない。
さて、昨日の竹韻庵での、二人での園遊畑時間は、ことのほか楽しく時間が過ぎ会話の中で、またもやいろんなことが学べた。そのいちいちを書くことは控えるが、私がいつも感銘を受けるのは、土に向かい合うその姿勢である。
以前は読まなかったような本を少し手にするようになってきた |
まさに幼稚園で、というと母に失礼に当たるが、身体全身で土遊びをするかのように、手で草を抜き、鎌で草を刈り、スコップで土を掘り、みるみる一定の畑周りをきれいにする手際の良さにはほれぼれしてしまう。
何事もすべては、頭ではなく体に沁みこんだ動きというほかはなく、84歳にしてこの動き、敬服に値する。体が動かなくなったと嘆く母だが、私から見れば御年にしては、十分以上の動きである。
あの歳できちんとひとり暮らしができ、いまだ我々の役に立とうとして気を使ってくれるのだから、見上げたものというほかはない。
足るを知り、丁寧に生きるという、はなはだ現代人にとっては難しい命題を母はすいすいとこなしてゆく。あなたたちの幸せが、私の幸せだという。脱帽である。
身近なところに、理想的な晩年生き方お手本があるということは、はなはだもってありがたく勇気をいただく私である。
今はまだ多様な煩悩を抱えながら、やがては母のような高齢者生活をと、願う私であるが、そのためには、ほんの少しでも母のように丁寧に日々を送ることを心かけるように、言うは易しである。
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