母(とメルと花)が 留守をきちんと守って迎えてくれ、全員すぐにひっくり返って床に就いた。
目が覚めて熱いお湯を浴び、とりあえず五十鈴川だよりを、わずかでも書かねばとのおもい。妻と二人だけで帰郷したのは、初めてではないかと(子供に恵まれてからは)思う。
子供たちとは別行動でGWを過ごしたのも初めてではないかと思う。当たり前ですが、時間は非情にも流れてゆく中、夫婦二人での帰郷旅は、また何やら意義ある思い出深い旅となった。
身体は西大寺についているのですが、心の中がまだ旅の渦中にいるような塩梅で、冷静に文章をつぐむ状態にあらずといったところ。
でも私にとって、大切な五十鈴川だよりに、無事に帰ってきたことだけでも書いておこうと思います。今回妻が同行してくれたおかげで、思いもかけぬことが次々と起こり、私ひとりでの帰郷とはまるで異なる旅になったことだけでも、意義深い旅となった。
還暦を過ぎてから、帰郷の度に思うことですが、もうあと何回兄弟語らっての、小さい宴時間がもてるのだろうかと思う。幸い今回も姉夫婦、二人の兄夫婦と水入らずの時間を持つことができ、ささやかな幸福感を味わうことができた。
たった一人の姉が詠んでくれた歌 |
全員が何はともあれ、健康で再会できるということの、当たり前であるということの何という貴重さが、あらためて 、年齢と共にしみわたる再会旅であった。
姉が74歳、義兄が76歳で最年長、兄が71歳、義理の姉と次兄が68歳、次兄のお嫁さんが私と同じ年。
1998年母、2000年父が 他界して以来、おかげさまで私が帰省するたびに温かく迎えてくれる、これらの人たちの存在は、ありがたき幸せというほかない。
またこういう身内のささやかなありがたき幸せを、臆面もなく厚顔にも五十鈴川だよりに記せることも、然り。
昭和という時代を、ささやかにともに生き抜いたからこそ、そして全員が、おそらく今をささやかに平和裏に生きていられるからこそ、豊かな再会時間が紡げるのだと思う。
みんなそれぞれが、互いを祝福できるなんてのは、言うは易く行うは難し、なり。いま、私の年齢で思い至った感謝の念、忘れないように書き記し、次回もまた喜びの再会ができるように、平生の一日を大切に生きねばと思う。
最後に、故郷で詠んだ歌【五十鈴川 ほとりに立ちて 石を投ぐ 岸まで届かず 老いゆくを知る】
0 件のコメント:
コメントを投稿