私は若き日、蟹江さんの熱血の舞台を見ている、清水邦夫作・真情あふるる軽薄さ・と・泣かないのか泣かないのか1973年のために・はいまだかすかにシーンシーンが記憶に残っている。石橋蓮司さんとのコンビは、無二である。
朝倉摂さんの、唐十郎さんの下谷万年町物語始め、いろんな舞台美術が、すごく印象に残っている。松本さんは、劇団民芸で観た、・にんじん・の舞台が記憶に鮮明だ。蟹江さんも、松本さんも、いい俳優は、声に特徴があって、声質がいつまでも記憶に残るのである。だみ声でも、美しい声は、あるのである。
宇野重吉先生、杉村春子先生、滝沢修さん、東山千栄子さん、すまけいさん、三国連太郎さん、大滝秀次さん(きりがないのでやめます)、味のある声というものは、一朝一夕にできるものではない。命がけの人生を生きてきたものだけが獲得できる、存在感というしかない。かなりの名優たちの声を生で聴くことができた、私は幸せである。
私が5歳の時に書かれた宇野重吉先生の本 |
1970年代、今振り返ると、やはりかけがえなくいい時代を私個人は過ごしたのだと思う。ほぼ十年、外国での観劇体験も含め、よくもまあ、最低生活しながら、あんなにお金が続いたものだ。
狭き演劇村のような、生活空間を徘徊しながら、なんとか若い私は必死で生きていた、のだなあと、今ようやく静かに振り返ることができる。あの時代のおかげで、私の今はあるとさえ思う。
あの時代の東京都心に、田舎から集まった、若き多分野の才能アあふるるエネルギー、放出熱気がむんむんしていて、その渦中を若さにまかせ過ごすことができたことは、かけがえがなかったのだと今は思える。あちらこちらで、若き私は、劇的興奮を日夜存分に味あわされ、無知をいやというほど思い知った。
こうやって書いていると、次から次に見た劇場のことまでが記憶の底から立ち上ってきて、いまだ私は、若き日に立ち返る、錯覚感にいざなわれるくらいだ。青春時代、振り返るとほろ苦き感に包まれる。恥ずかしきことの数々の上に、なんとか今を生きていることの不思議を思う。
おそらく、ヒトはみんな、すれすれのきわどいところを、何度もくぐりぬけて、生きてゆかざるを得ないいきものではないかと、私は考えている。無様であれ何であれ、与えられた生を何とか全うすることこそが、肝要だと思う。時代もおのれも変わり、生々流転する。
話を戻す、蟹江さんとも、もちろん松本さんとも、間接的に舞台を見ることでしか知らないのだが、その時代が生みだすというか、その時代が醸し出す、濃厚な空気感を見事なまでに、顕在化していて、田舎から出てきたばかりの私は、あらゆる点で圧倒され続けたものである。
私が元気な間は、蟹江さんも、松本さんも、朝倉さんも、私の中では生き続ける。そのような記憶に残る、輝いたお仕事をされた素晴らしき人たちの舞台(あらゆるライブ)を若き日に、わんさか見ることができたことができたことは私の青春の誇りであり、幸運という以外にない。
同時代を、ささやかに共有感覚で、生きられるということの、何という劇場空間の人間が生きているということの、観客と一体となった感動の渦のざわめき、ときめき、血潮が沸騰する青春、今もどこかでそのような時間が流れていると私は信ずる。還り来ぬ青春を、悔いなく生きてほしい。
やがてみんな歳を重ね、この世の舞台から、シェイクスピアが言うように、姿を消してゆく。いちいち記してゆくこともかなわないが、すでにお亡くなりになった、私が影響を受けた、素晴らしき舞台人、映画人の方たちの、御冥福を祈らずにはいられない。
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