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2014-04-03

大切な家族とともに、春一番の山菜を頂くゆうべのひととき

万物に精気があふれ、樹の芽が吹き出す、春はあけぼの、森羅万象が輝き始めました。今日も終日畑で、N氏と過ごしました。(N氏、なんなあ、なんなあとネギを植えながら繰り返しつぶやく、これは私とN氏にしか分からないので、よまなくて構いません)夕食後、一寝入りし珍しく夜中のブログタイムです。

サンナンの畑の土手に、蕨が出始めました。わずかですが今日初めて収穫、それから、倉庫のそばに、タラの芽を見つたのでそれも採りました。仕事帰り、母の家により、母に見せ夕飯を共にしようと声をかけました。

昨年秋、植えた玉ねぎ、ぐんぐん育っています
ストーブの灰で蕨をゆで、私が一品作り、仕事から帰った妻が、手際良く夕飯の準備をし、もちろんタラの芽は、てんぷらにし、娘もバイトがなく、全員ではやめの夕食をゆっくりとしました。

80歳の母は、我が家から300メートルくらい離れたところで、いまだ一人でシャンと暮らしています。そのうちともに暮らすようになると思いますが、一人がいいといって、いまだ自転車で我が家までやってきます。平均週に二回くらいは、ともに夕飯をし、一日に一度はお互い顔を合わす暮らしをしています。

可能な限り、夕飯は家族全員で共にする。私に家族ができてからは、それをずっと今も続けています。それが私にとっての家族の原風景の姿なのです。まず最も身近な家族でお互いの暮らしを日々確認しながら食するゆうべが、私のささやかな幸福のひとときです。

若き日々、これまで幸運にもいろんな国々を旅することが叶いましたが、私が目にしたどの国の人々も、夕飯のひとときを家族とともに楽しそうに過ごしていました。どんなにつましい食卓ではあれ、今日一日の終わりの食を、恋人とであれ、ともかく誰か大切な人とと語り合いつつ、飲み、かつ食べる。

おしい才能の持ち主、もう十年は生きてほしかった米原真理さんも、食べることが大好きでした。我が家は、よほどのことがない限り、外食をしません。娘も母も妻も私も外食を好みません。家でゆっくりと、気兼ねなく食することが好きなのです。

以前より、私もようやく時間に余裕のもてる暮らしが可能になったので、これからは可能な限り、夕飯を、家族とともにゆったりと過ごすようにし、一日の終りのひとときを大切にしたいと考えています。

若いころは、生きるために食するような慌ただしき食生活を、余儀なくされた感無きにしも非ず、反省しきり、これからは、食べるために生きると、方向転換したく思います。つましい食卓ではあれ、大切な家族となにはともあれ、食を大切な時間にしたいと思うのです。

だから、素材も可能な限り自分で育てたものを、食卓の中心に、据えたいと思うようになってきつつあります。食にこだわるということは、生き方にもこだわるということであり、何よりも料理を作るということは、時間さえあれば実に楽しいことなのだということを徐々に私自身感じ始めています。

農と食、これから毎日の夕飯を大事に、大切な人たちとともに感謝しつつ、頂きたく思います。

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