そして、先ほど目覚めたら、身体が軽くなっているので、ほっとし安心しブログタイムというわけです。昨日畑に、ブログよく書いた、読んだよー、とK氏からメールがありました。書いてよかったと思います。
今書きながら、何も考えず書いているのですが、何か白い画面につらつら書いていると、書きたいことがやがて出てくるということが、つまりは私にとっての、今日のブログということになるのです。
いまだ、旅ボケ冷めやらぬ私ですが、いい意味での、老い、人生の秋、深まりの妙のようなことを、感じてしまう年齢になったことを、つくづく知らされる、良き旅でした。
ゆったり在来線乗り継ぎで始まり、バスと新幹線、限られた時間、乗り物(東京地下鉄詳しくなりました)を有効に使い、豊かに面白く、旅を演出出来る自分がおりました。
姪の結婚式参加によって生じた5日の旅。男と女、家族、兄弟、親戚、友、知人、この人生浮世物語の展開が、最後芝居を久方ぶりに堪能することによって、終わりました。
そして、映画のタイトルのように、人生は続いてゆくのですが、この私自身の結末はまったく分からない。ただそこに向かってゆくためには、何をなすべきなのかが、かなり私の中で鮮明になってきた、見つけることができた、旅となったような気がしています。
今回、いろんなことを考えさせられたのですが、、書くのが面映ゆいのですが、やはり人生の宝は、自分にとって心から大事なかけがえのないものが、いかほど存在するかによっている、ということに尽きるという、気が今しています。
どんなことがあっても戦争には反対です。 |
大事な人がいる。会いたい人がいる。そのように思える人が、我が人生を豊かにしてくれ、世界を彩っているということに、対する気づきが深まったように思えます。
ほんのわずかな時間、ほとんど話したことがない親戚の方とも、短い言葉のやり取りを交わしました。、以前の私だったら儀礼の範囲を超える会話は、おそらく無理だったかもしれないのですが、今回は以前とは異なる自分がおりまして、何かすべての出来事が楽しめました。
そういう心持になれる今を大切にし、そういう感じを持続できるように、今後何を生しながら活きてゆけばいいのかのヒントがつかめえたかのような気さえしています。
古坂るみ子さんとの、つかの間の35年ぶりの再会は、まったく予期しないことだったので、いまだその余韻、冷めやらずです。今後、チャンスがあれば可能な限り、彼女の舞台を見たく思いますし、よしんば私が無理でも、娘に見てもらうことは可能です。時間は流れてゆき、新しき世代が受け継いでゆきます。
一日一日を悔いなく、まあ、与えられた場所でそれなりに生きることの積み重ね、それしかないとさえ思えます。それなくしては、意外なことは起こり得ないのだと思います。
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