現在の自分の体力測定の意味も兼ねて、私は草を刈った。平面を刈るのはさほどのことはないのだが、斜面を刈るのはなかなかに骨がおれる。だがありがたいことに、20年以上夢が原で草刈りをしてきたことが、こんなにもサンナンの畑で役に立つとは思いもしなかった。
企画することもそうだが、最低10年はやらないと、何事も身には付かないそんな気がします。話を戻しますが、草刈りを終え家に帰ると、さすがにぐったりと疲労している自分の身体がありました。
そんな私を、昨日からGWでお休みに入っている妻がいたわってくれ、着変えてすぐ、ささやかに少し早目のビールタイムをまだ陽が高い庭で持ちました。なんとも心地いい時間帯の労働の後の春のビールは格別です。
朝が早い私は、わずかなビールで、すっかり気持ちよくなってしまいました。どこに出かけなくても、我が家でささやかに静かに、疲れが癒せ、一晩ぐっすり休めば又こうやって、ブログを書ける暮らしに、単細胞的に私は自足します。
身内以外、可能な限り迷惑をかけず(若いころからいろんな方に迷惑をかけてきた反省があります)一日を充足して過ごしながら、静かに下ってゆきたいという思いなのです。こんなことを書くと、何やらわびしげですが、それもまたよろしからずや、といった心境。
今これを書いているパソコンの机の隣には、読みたい本がざっと10数冊置いてあります。それらの本を夕飯前、手にしている時間はしばし至福の時間です。きっと働いているからこそ、そのわずかな時間集中して本が読めるのだと思います。
この数十年の間で、この一年間が最も本を手にしていると思います。30分でも、一時間でも集中して本を読んでいると、何やらと脳の中が心地よくなってきます。そのことが自分で分かっているので、つまり楽しいのです。
素敵に生きて、歳を重ねておられる方の本なんかに巡り合うと、何やらほのぼのな幸せ感にひたれます。元気が湧いてくるのが分かるのです。本や、音楽や、つまり私にとっての芸術や、娯楽や芸能は、精神を日々浄化してくれる、又とない特効薬なのです。
お風呂に入って、日々の疲れをとり、明日の英気を養うように、私の生活には欠かせません。一人自分と向き合う時間が、絶対的に必要です。読書は間接的にあこがれの著者とお話しているかのような、錯覚時間を楽しめるのが、なんともはやだいご味というしかありません。
先日上京した際、神田の古本屋で、二日ほど本やめぐりをしたのですが、きっとこれから上京するたびに、神田の古本屋界隈を私は元気な間徘徊するような気がします。そのために上京したいと思うくらい、私は神田が好きです。
畑の肉体労働、プラス読書とブログが日常生活の基本です。汗をかかないと、私にとっての読書はあまり意味を生しません。あくまで生きて食うために必要な読書なのです。
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