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2014-01-23

小さき贅沢、ドリームオブパッション感覚を晩年も貪欲に。

すみません今朝は写真がなかったので娘の後ろ姿
水曜日は自分にとって、サンナンで働くようになってから、かなり時間的にハードな日々になってきているのだが、そのような生活をするようになってから、以前にもまして、自己管理、し自分の体調を気遣うことができるようになってきたような気がしている。

昨夜遊声塾のレッスンを終え家に戻り普段より、ずいぶん遅く床に就いたのだが、いつもどおりに眼が覚めなにやら綴りたい自分がいる。夢が原を退職したら、悠々自適、読書三昧の日々にあこがれていた自分だが、自己自省も含めながら、今しばらく強烈に働きたくなった。

ただ、今もって隠居という響き、生き方にはどこかしら惹かれる自分がいる。夢が原時代とは異なって、うまく言えないが、自分は基本的にサンナンという会社で働いてはいるが、限りなく気分は隠居しているような、感じなのである。何やら突き抜けた感覚。世の中のあれやこれやを、どこか遠くの彼方から眺めているかのような。

現世の中で生きてはいるものの、限りなく現世的には生きていないかのような。しがらみ、その他一切から、何やらとても、自由な感覚で生きている己を感じている。だからブログも自然とそのような感じで、自在に気分任せである。

とはいうものの生身の人間であるから、そうは問屋が卸さないのが浮世の定めだが、ここ、と、あそこを、自由自在に行き来するような感覚が以前よりは少しずつましててきているのを感じつつある。

だがその感覚は、油断するとすぐ逃げてしまう。油断大敵感覚なのである。昨日遊声塾に出かける前、かなり体が重く、レッスンが少し不安だったのだがいざ始まったら、疲れてはいるのだが、俄然面白くなり、3人の生徒さんと夢中でレッスンしていたら、あっという間に時がたった。

集中の持続力の妙味。集中した稽古、仕事の後は、さわやかな疲労感が体の中に満ちる。この感覚を見失いたくないという思いが、最近しきりにする。贅沢な気分。61年間も生きてきて、ようやくたどり着けた、晩年にての感覚。

だがだが、これからも悩むことの多き、煩悩精神を大切にし、この浮き世の一回こっきりのライブ時間を、巡り逢えたヒトとともに、生きること、夢見ることに関しては貪欲でありたい。

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