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2014-01-19

畑で一人、終日ネギを植えて過ごしました。

今年から私の休日は基本的に、日曜日と月曜日になった。サンナンの農業部門は、A専務がやるべきことさえきちんと自ら考え、実行しさえすれば実に融通をきかしてくれるのである。

子育てを終えたり、社会的に一仕事終えた世代が、やりがいを持ってやれる職場環境に巡り合えるなんてことは、今の日本社会ではことのほかまれではないかという気がする。若いころから自分の夢実現のために、あらゆるフリーター的仕事を40近くまでやってきた私にとっては、まさに夢のような、環境なのである。

夢が原での22年間は、若いころからやりたかったことが実現し、完全燃焼したという思いが私にはあるので、過去にやってきたことにはいい意味で決別し、これまでの経験を踏まえ、あらたな地面世界に向かいたいという、心の声が内なる体に響くのである。

そういうわけで、他の職員はお休みなのだが、昨日は、私ひとり終日畑で過ごした。やったことは手でネギを植えてゆく、何とも地道な仕事、専務が自動ネギ機械を買ってくださったのだが、二人でないとできないし、冬は朝地面が凍っていたりして、冬はやはり手で植えてゆく(畑のコンディションが良ければ午後は可能)しかない。

寒いし、何も無理して一人で植えなくてもいいのだが、サンナンの農業は自分で考えて何かを為すのが原則、春に向けて今一番やらなければならないのは、一本でも多くのネギを植え、きちんと育てるということなので、現時点の自分の体力測定も兼ねて、休息も取りながら終日その単純な仕事をやり続けた。

台詞を暗記するように、繰り返し繰り返し同じ動作の反復、若かりし頃富良野で畑に這いつくばった経験がこんなところで生きてくる。気が遠くなるほどの長さの畑に、一本一本玉ねぎを植えていった、青春の終りの記憶が鮮やかによみがえってきて、今の私を元気づける。

真っ赤な太陽が大地を温め始めると、かちんかちんの地面の水分がまたたくまに溶け、土が緩んでくる。ネギの苗は、真冬の寒さをものともせず、自ら凍りながらも生きている。その生命力には脱帽する。きちんと根が張れるように、ひたすら植える。

腰を時折伸ばし、のらりくらり、ひたすらやり続けること数時間、なんと思った以上に相当にはかどっている。朝日を浴びた植えたばかりのネギが、何とも頼もしく地面の上に整然と列をなしている姿は、植えたもののみが味わえる嬉しさだ。

昨年の10月1日、開墾から始めた、私にとっての最初の愛着のある農地に自分でネギを植えていることが、何やら不思議に感じられる。4月植えたネギが育った姿を想像する、楽しみである。

朝の2時間くらいは、植えていると霜や氷が解け指先が濡れて冷えて、かじかんでくる。だから私は不要の穴のあいた、毛糸や指先が動く薄さの手袋をたくさん妻に用意してもらい、濡れて限界までくると交換し、指先を摩擦し血が通い始めると、また作業に向かうことを繰り返す。

そのうち体もぽかぽかしてくる。こうなるまではいささかの辛抱だが、これから以後はがぜん調子がが出てくる。この年でも人間の体はまさに千変万化、意識が人間の体に及ぼす影響は計り知れない。自分で人体実験を、大げさだがやっているような感覚にも時折なってくる。

体勢的にはかなりしんどいのだが、そこをいかようにも工夫することで、全身が活性化してくるのである。心と体を活性化することの、やはり一番の大事は無理せず、意識を動かすということに尽きるのではないかと、ようやくにして認識できた気がしています。

生きてゆくための楽しみの見つけ方は、気づきさえすれば広大無辺にあるということでしょう。人が動くと書いて、働くという文字です、何やら感じ入ってしまいます。

お昼、温まっている車の中でゆっくりと一人で妻の用意してくれたお弁当を、天を眺め畑を眺めながらおいしく頂くランチタイムは、何とも言えない格別時間です。

まさに、人生いたるところに青山ありです。

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