故郷の大崩山(おおくえやま)で見た岸壁に咲く名も知れる花 |
1974年から77年にかけて、世はまさに高度成長期で、とにかく働き、節約すればお金がたまるということを初めて発見した数年でした。そのころからいろんな物事への気づきが普通の人より遅く、自分の至らなさに痛い思いをしながら、緩やかに、自分の中に自力で成長しているという自分なりの、自助努力実感のようなものが、うっすらと芽生えてきたことを思いだします。
何よりも、いろんな書物から勝手に影響を受けながらも、自分のことは厳しくとも自分で考え選択し、決断しなければならないという厳しい現実を学びました。あの数年の日々はかなり孤独な日々ではあったと、今思い返すと致します。がしかし、その数年間を、書店でアルバイトできたことは、返す返すも大きかったのだということが、今自覚できます。
本屋という空間の中で、いろんなことが学べた数年間であったと思います。水道橋からは神田が近く、古本屋が密集していて、よく意味もなく散歩しながらのぞき、古書の背表紙を眺めました。また、お茶の水界隈には大学が多く、同世代の若者がたくさんいて、大学生ではない私は、うすらぼんやりと、言葉にしにくい得も言われぬ刺激を受けながら、自分なりに何か自信になることを見つけたいと、あがいていました。
今この年になり、子育てもあらかた終わり、これからは再び老春を生きてゆくに当たり、あらたなあの青春のころとは異なる夢のようなものが、かすかに芽生えてゆく感覚が年が明けて高まってきています。妻を伴い、旅をする。
いつの日か、青春時代に旅したところを再び旅してみたいというような。幸い旅をした記録が残っているので、資金さえ節約調達すれば可能なのです。一番大切なのは健康。よしんば実現しなくとも、その数分の一でも、実現すれば楽しいだろうなあ、という気がします。
いきなり朝から、このようなことを書くとは思いもしませんでした。思いもしないことをつい書いてしまう、朝の予想展開不可能な我がブログ、仕事へ向かう時間がきたらいやでも止めないといけないのですが、これもまた成り行きの楽しみで、きままな旅と似たようなものです。
話は書店に戻り、本屋さんでいろんな本を眺めながら、物思いに耽るひとりのひとときは、小さな幸福感に満たされます。空想の旅もまたたのしからずや、といった風情。時は流れ、再びの節約生活の果てに、見果てぬ時間をかけての夢を紡ぎたいものです。
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