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2013-05-31

椎名誠さんと出会えて本当に良かったと思います


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起きて朝一番新聞を開くと、たくさんの種類の本を出されている椎名誠さんの新刊の広告がすぐ目に飛び込んできた。椎名誠69歳。

 
私が40歳で初めて企画したのは、椎名さんが監督した映画・うみそらさんごのいいつたえ・を野外でやったのが、一番最初の企画である。今考えると、この一番最初の企画に私の企画者としての資質というのか、もし私らしいというものがあるとしたら、ほとんどのおもいが、このタイトルに籠められているという気がする。

 
今回の新刊は椎名さんが初めて死について書いたということらしいのだが、エッセイを中心に、かなり椎名さんの本を読んできた私は、そこはかとなく感じることがあるのだが、遺言を書かれているということなので、この本は是非今日にでも求めようという気にいまなっている。

 
ついさっきまで、ブログを書く気はなかったのだが、こうやって書かずにはいられなくなる、いま現在を生きる61歳の私がいる。椎名さんは私より8歳年上、初めて会った年はだから48歳だったのだ。

 

3年前、夢が原の園長になった年に、久しぶりに原点回帰ではないけれど、野外で椎名さんの焚き火トークで、家族のことについて話してもらったことがある。もうすでにおじいちゃんになられていた。家族にたいする想いが闇の中で静かに伝わり、とつとつと語る姿が忘れられない。

 

椎名さんとの出会いは、全てはフィルム・うみそらさんごのいいつたえ・を見たことによる。この海と空の美しいフィルムを、夢が原の野外で夜、上映したいとおもったことがすべてである。振り返ると、40歳にして惑わず、東京から岡山に越したばかりで、たまりにたまったエネルギーが自分の中で爆発するかのように、私は椎名さんに手紙を書いて、お会いいすることができた。野外で上映するんですね、意気投合した。

 
誠心誠意想いを伝えれば企画は実現するという感触を、私は最初の企画で得た。それから、椎名さんの創ったフィルムは、すべて夢が原の野外で上映した。まさに夢のような40代の企画の記憶。

 
歳月は流れ、時代はデジタル。椎名さんは映画を撮らなくなった。私も野外映画を企画することは亡くなった。

 そして今、死について想いを巡らせる本を、椎名さんが書かれたということに関して、歳月を感じる。おもうに私が好きなタイプというのは、理屈より先に体が反応する、いま現在の生きている時間をこよなく愛し、それに没入して生きている人に、限りなく惹かれ憧れる。椎名さんは映画は撮られなくなったが、本業の小説やルポ、エッセイ、写真など、その活躍はすごいの一言。
 
 
とくに、お孫さんとの交流は胸を打つ。私にはまだ孫はいないが、生きているうちにもし孫に巡り合えたら、もう思い残すことはないなんて書く自分も、冷静にいい年なのである。

 
椎名さんは、私が出会った人の中では、もっとも風のような印象を持つ、理屈の無い、頼れる兄きという形容が最も似合う人である。

 

おそらく絶えず、死を身近に感じる感性を保ち続けているからこそ、その情動の振幅が激しいからこそ、椎名さんは、今しかない本能に支えられ、このかけがえのない水の惑星地球の上を駆け巡り、人間生物の命の連鎖の循環の摩訶不思議に作家として驚愕し、書き・喰い・撮るということを、いまも続けているのだろう。

 

椎名さんと出会えて本当によかったと、還暦を過ぎしみじみ思う。椎名さんが撮った辺境世界の写真集を、今日久しぶりに開いてみようとおもう。

 

 

 

 

 

 

 

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