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2013-05-28

体一つで生きられる・楽しめる日々を取り返したい


広島平和公園にて

私ごときのブログでは、できる限り暗い話題は避けようと何とはなしにおもう自分がいるが、でもどうしても書かずにはいられないということがやはりある。

 

私は50代に入ってから、二ユースやテレビを正面からは見なくなった。(どうしても見たいとおもわせるもの以外は)斜めに見るという感じなのだ。たまたま、夕刻、28歳のお母さんが3歳の子供と、餓死したという二ユースを耳にした。電気も水道も切られていたという。

 

貧しい国の出来事ではなく、先進国経済大国日本での出来事である。都会の片隅で打ちすてられるかのような、母と子のなんとも痛ましいやりきれぬほどの、現代の光の届かぬ影の部分をかろうじてメディアが伝えている。脳は開くものに関してのみ反応する。

 

こうも毎日のように、さまざまな二ユース、情報がわんさか届けられると、おのずと人間の感覚はマヒし、五感は衰退する、挙句の果てには無思考、無感覚になる。恐ろしいと私はおもう。企画するものとして、こういうことになにも心が動かなくなったら、速やかに廃業する。

 

餓死すると一言で言うが、お腹がすくということがどのようことであるのかという、基本的な感覚がもう多くの豊かな時代しか経験したことがない世代には、悲しいかな想像力が及ばないのだろう。かろうじて私はかすかに、お腹が空いた記憶を持つ。辛い。

 

戦争の悲惨さや、無残さ、残酷な情況におかれた時、ヒトは生き延びるために、どうしても鬼面人に変身(カフカの変身は哲学的命題を書いている傑作だ)せざるをえない。これでも人間かという表現があるが、これも人間の一面だと表現せざるを得ない気が私はする。だから、だからこそ食べ物の在り難さや、平和の在り難さを、きちんと伝えないといけないとは思うのだが、きちんと伝えるには果たしてどうしたらいいのかということに関して、親としてはなはだ難しく悩むのである。

 

歴史は繰り返すとか、訳知り顔の評論家のようなことは、一切私は言いたくない。ただ私がおもうのは、対岸の出来事ではなく、明日はわが身になるかも知れない、と考える想像力を持たなければ、そして何か自分に為すべきことが在るのではないかと考える自分がかろうじているのだ。

 

従軍慰安婦の問題も空虚な言葉が飛び交い、痛みを伴う肉体言語を喪失した世代が政治をおこなうようになると、なんとも表現しがたい寂寞とした思いにとらわれる。

 

明治大正期の、添田唖蝉坊・知道のような時代の暗部を軽やかに照らす(深刻なことを軽やかに)、特に大衆に届くような表現者は本当に少なくなったのだということを、痛切に感じるのは私だけだろうか。立川談志家元の絶望が何とはなしに身近に感じる。

 

こうもあらゆることが、管理分断されて、そのことに関してもほとんど血の通った議論や、論評の(ないとは言わないが)限りない少なさに関しては、さみしい時代というほかはない。土取利行さんのやっている仕事に関しても、きちんと論評できる、人間がいなさすぎる。

 

私はこうやって、パソコンでブログを書きながらも、これで何かが伝わるかということに関しては、矛盾を承知でいえば、伝わる人にしか伝わらないだろうという気がするのだ。ブログだからそれはそれでいいのだと、私はおもっている。

 

ともあれ、朝から何やら真面目なタッチだが、私個人はこれも何度も書いているが絶望はしていない。生きているということは、ささやかであれ自己満足であれ、自分の中に何か、灯す行為なのではないかという認識があるからだ。たんなる自己満足から、可能なら社会に開いた自己満足。企画するということはそういうことではないかと認識している。

 

私は、ITは信じることは出来ないが、自分の身体は信じたいという、一縷の望みを持ってかろうじて日々を営んでいる。少々の食べ物と、考える力を運ぶ精神と肉体これさえあれば、日々を生きられる。この感覚に今しばらくしがみつきたいという、老春の私だ。

 

だから体一つで楽しめる遊声塾を始めたのだ、という結びでお開き。

 

 

 

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