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2013-05-04

静かに穏やかに過ごせるありがたさを満喫するGW


GWを母と過ごす愛犬メル

先ほど娘のところに上京している妻と言葉を交わしていると、母がやってきたので電話を母にバトンタッチし、私はブログの時間に突入しました。

 

なんとも穏やかなGWを私は我が家で静かに過ごさせて頂いています。妻が普段やっている、植物たちの水やり他、何かとやることがあり、こまごまとしたよしなし家事ごとを努めて楽しんでやっています。朝食・昼食・夕食・今のところ全部自炊しています。妻が南蛮づけなど、保存食を作り置きしてくれているので、後は簡単に自分であれやこれやをアレンジして、慎ましくもおいしく頂いています。

 

さて、何回かこのブログでも書いていますが、私の晩年ライフに動ける身体を意識するという行為の一つとして、雑巾がけでリビングと廊下と階段他を拭くということを心かけています。メルと風太の毛が抜けるということもありますが、できるだけ機械や道具に頼らない、暮らしというものを見つけたいのです。可能な限り原点帰りを心見る暮らしをやりたいのです。だってまだ身体が動くのですから。

 

四月から、フリーになったのを機にほぼ毎日、20分間くらい続けています。クの字型になっての雑巾がけは、背中が伸びますし、絞るということも含め何かと普段使わなくなった筋肉や筋を伸ばすので気持ちがよくなります。水ふきした後を素足で歩くのはなんとも気持ちのいいものです。

 

無理をしない程度に、動く身体で可能なことは出来る限りやってみるということを心かける、時間に追われる暮らしをしていた時ならいざ知らず、ようやく時間におわれない暮らしがやってきたのですから。手間のかかることをゆっくりと過す生活が楽しいのです。おまけに掃除機なんかとは比べ物にならないくらい、きれいになります。見た目にはさほど変わらないのですが、雑巾がけした部屋はまるで違います。

 

きれいになった部屋で、お茶を頂いたり、お手紙を書いたり、本を読んだりするのはなんとも気持ちがいい。

 

始める前は、起きて間もなくで身体が重いのですが、徐々に身体がめざめて軽く感じ始めます。そうなると意識も軽くなる、心と体は不即不離だということが実によくわかります。身体が動かないと、声は出ません。私が遊声塾でやりたいことは便利な機械に取り囲まれて、失いつつある肉声を取り戻すという行為なのだとおもいます。

 

吐かないと息も入らない。息を出し声を出すと、息も声も入ってきます。何よりもまず、考えず声を出すという無心の行為が何よりも大切です。

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