ページ

2013-05-10

5月11日のエリックマリア・ライブのご挨拶文をなんとか書きました


御挨拶にかえて

 

61歳の今を生きる、はなはだ個人的なおもいのようなことを書かせて頂きます。私は21年間、美星町という町にある中世夢が原という歴史公園に務め、この春退職いたしました。

 

2か月前の、311(未曾有の震災の起こった日)の朝、パリのエリックマリア氏から、5月日本に行くとの突然のメールを頂きました。何かと慌ただしく落ち着いて企画を進める時間はないとは思いましたが、私はすぐに岡山でやるという決断をし、すぐにオリエント美術館を押さえることにいたしました。

 

結果、またたく間に2カ月が過ぎ、今日この日を迎えることができました。40歳で岡山に移住し、小さな町の歴史公園で企画者として再出発、野外映画、アフリカの民族音楽ほか、一人芝居、クラッシック(チェンバロほか)、日本の伝統尺八音楽、野外での現代舞踊、インドの古典舞踊演劇、などなど、多ジャンルの芸術や伝統音楽文化を企画してきました。

 

そして、よもやまさか離職後こんなに早く、このような素敵なチェロ奏者のソロライブを岡山の中心部で企画することになるなんてことは、まるでおもいもしなかったのだから、人生は、まさに一寸先は分からない。

 

年齢を重ねることによってしか感知しえないような世界があるのだということを、50歳を過ぎるころから、そこはかとなく感じるようになってきた私だが、60歳を過ぎた今感じることは、若いころにはまるで感じなかったことが、何気なく沁みてくるようになってきたことである。ゆるやかに忍び込む死の気配を感知するようになって、いよいよ生が輝くようになってきたように思うのである。青春ならぬ老春。

 

退職したばかりの私にとっての、エリックマリア氏のチェロ(たとえようもない響きの

楽器をヒトは創った)の響きは、物語めくが人生再出発の贈り物のようにも感じている。

 

永遠に答えはないことは分かってはいるものの、若いころから、そして今に至るも、ヒトは何故、音も含めたあらゆる芸術・芸能・文化を求め、愛してやまないのかという問い、はいまだ私の中にくすぶり続ける、まさに、スフィンクスの謎のように。

 

今生きて存在しているからこそ、エリックマリア氏のチェロの響きに身をゆだねることができるという、たまゆらの幸福。今夜足を運んでくださった皆様に、心から感謝の思いを伝えます。ありがとうございました。

2013511日  日高奉文

いよいよ、エリックマリア氏のライブが明日になりました。上記の文章を今なんとか書きあげたところです。

 

企画をすることも、シェイクスピアを声に出して読むことも、私の中では同じです。今、生きていることを意識的に確認する行為のように思えます。ともあれ、最後になりましたが、もしこのブログを読み、関心余裕お時間がありましたら聴きにいらしてください。

郡上の町を歩いて見つけた庭先

 

 

 

 

0 件のコメント:

コメントを投稿