エリックのライブに神奈川から駆け付けてくれた親友のK氏と宮島に行きました |
5日もブログを書かなかったのは、おそらく書かなくてもこころが穏やかだったからだろうとおもう。
昨年4月から、五十鈴川だよりを書く始めてからあっという間に一年以上が過ぎたわけだけれども、ブログなるものを書き始めてからなんともはや3年半が過ぎようとしている。
日々の自分の生活の折々の、気分や移ろい、よしなしごとを綴ることによって、そこはかとなく整理確認してゆきたいという、ささやかな願いのようなものが、この年になってもいまだ止まずという、曰く言い難い感情が私の中にはある。
完全退職してから、あっという間に2カ月近くが過ぎた。エリックマリアのチェロライブを終えて、まる5日が過ぎようとしている。今、私は本当に心から穏やかな時間を過ごせている自分を感じている。
それは言葉にすればはなはだ陳腐な表現になるので、控えたい。ただ何とはなしに言えることは、自分の中の限りない煩悩のようなものは、生きている間は消えようもないとは思うものの、ようやくこの年になってひと山越えたかのような境地に立てた自分を感じている。
土取利行・邦楽番外地や、エリックマリア・チェロライブは、やはり20年以上の時を重ねたからこそ企画することが実現したのだという、はなはだ個人史的な感慨に包まれる。
故郷を後にして43年、よもやまさか自分がこの年齢まで生きて、このような思いに包まれた時を迎えようなどとは思いもしなかった。運命という字は、命を運ぶという文字ですが、
私は物事を勝手にいい方に解釈する癖のような、自分の性格が在ったからこそなんとか生きて、今を迎えることができたのではないかという思いにとらわれる。
日はまた昇り、映画のタイトルのように、そして人生は又続いてゆく。自分という限りない煩悩の器を抱えながら、この先も何とはなしに、今しばらくは恥ずかしきじたばた人生を送るしかないという心境です。
我が人生で出会えた出逢えた、妻をはじめとする限りなく大切な人びととの、与えられた人生の時間を深めながら、限られた能力で謙虚に努力し、遊びながら声を出し、次なる企画の夢を育みたいと願わずにはいられません。
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