先日親友と初めて5月の原爆ドーム付近を二人で散策した、ブログの内容とは関係ありません |
私は年齢の割に常識的な、知的教養に限りなくかけているということを今も認識している。1970年、18歳から世の中に出て、演劇を志したのはいいのだが、特に最初の3年間昼はアルバイト、夜は演劇学校という暮らしの中で、初めての大都会暮らしで心身ともに疲れ果てた記憶を持つ。今振り返ると、よくつぶされなかった、我が身の幸運をおもう。
それは、大都会の片隅で見た、未知の私が生まれる前の名画、奇跡の人(名匠アーサーペン)や、アンネの日記を始めとする、数々の記憶に残る舞台に触れることの中で、かろうじて精神の居場所を確保し、若さの特権というのか、感動するという体験を何度もすることができたことがやはり大きいという気がする。
あのとき、あの舞台を見なければとか、あのときあの映画を観なかったらとか、あのときあの本を読んだからとか、あのときあの人に逢わなかったらとか、という経験をすることによってかろうじて、自分自身を信じ、もうっちょっと背伸びして頑張って奮い立させて、乏しい才能をなんとかしたいとあがいてきたように思う。
ブログを書くことは恥を書くことだ(生きてゆくことはと、言い変えても私の場合はいい)と書き始めたときから書いているが、無理して自分に暗示をかけるように、背伸びは今しかできない、もう2度とこの青春は帰ってこないという一縷のか細い感覚にすがりついて、1年間英国に留学する一大決心をしたのは22歳のころだったとおもう。
決心したのはいいが、おけらの私。いろんなバイト(書店員、出版社の宿直など)をしながら、留学費用をため、それから3年間、無駄なお金は全く使わなかった。初めての海外英国自費留学に出発したのは25歳になっていた。
私にとっては一か八かのような、大冒険ロンドン自費留学だったが、この年になり振り返ると、やはりやっておいてよかったという思いがこみ上げる。あんなことは若い時だからこそ無謀にも思い切ってやれたのだというしかない。あの時代、田舎から都会に出てきた私にはあらゆることが、無知なるが故の驚きと発見に満ちた、無残と歓喜が矛盾して同居するあの青春時代無くしては、現在の自分はないだろうという気がする。
ロイアルシェイクスピア劇団を観劇し感激したあと、深夜の暗いロンドンの街の黒光りする石畳の街を下宿に向かって自転車で走り、遅まきの自由な青春を満喫しながらも、さあこれからいかに生きるか、孤独な内なる自分と向かい合う日々、まさに歌のタイトルのように青春の光と影の日々だった。
若い時というのは、夢はあるが自信がない。1977年8月パキスタン航空(イスラムの雰囲気を機内で初めて体感した)で英国へ出発、1978年12月、ロンドンからシベリア鉄道と船で横浜に帰ってきた。初めて自分に自信をつけた翌年、私は文学座を受け合格した。27歳になっていた。
何故朝一番、起きて間もないのに、このようなブログを書いたのかは自分でもわからない。
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