離職後に書いたブログのささやかな我が文章を読み返すと、やはり働いていた時と異なり時間的余裕の中で書いている事を感じる。相変わらず変換ミスが多いが、何かに急き立てられることがなく、何とはなしに書きたくなることが頭に浮かんでくることを書いている。
ITライフ、とにかく便利な機械,機器に数十年とり囲まれて生活していると、個人的にはもう何が何だか分からない、まさに混とんというしかないさみしい寂寞たる時代状況を実感する。何故こうも浮かぬ顔をした日々を送らねば生きられないのかしらと、考える。
血の通う人間らしい(なにが人間らしいのかということはしばし置いといて)暮らしは可能なのか、と、初老期に入った私は、老婆心てきな心境にどうしてもとらわれるのだが、それは何故なのだろうか。いま、昨日写真をアップした酒井順子さんが書かれた、徒然草を書いた吉田兼好の本を読んでいる。兼好は30歳で出家しているのだが、鎌倉時代の兼好が生きていた時代も、今も、さもありなんというくらいに人心というのは、さほど変わらないということがよくわかる。
すでにあの時代、兼好は過去の素晴らしい和歌や文学のあれやこれやに思いをはせ、生きる糧にしているのだが、真に持って今を生きる私にとってもかなりの面で、うなずけるほどに参考になる。面をかくし、尺八という楽器を生み出した虚無僧の文化にも通じるのだが、考えてみると世の中に出て以来、私の中にはずっと虚無的なある種の心情が、どこか心の中に巣くっていたのは否めない。人間の中に在る、悪魔的な部分と天使的な部分の分裂的同居。
私が乏しい才能で、美的芸能、芸術文化を企画したりするのは、立川談志家元の表現に倣えば、人間の業の肯定と言えるかもしれない。言葉にならない、エモーショナルな個人的モティベーションが未だ止まないからだろうと、考える。そういうことでもしないと、なんか落ち着かないという、心情あふるる軽薄さ(清水邦夫の戯曲のタイトル)。
考えてみると、私はずっと中世夢が原で隠遁生活をしながら、時代にそぐわぬ企画をずっとやってきたように思える。離職、居を西大寺に移しても、どうも私の時代にたいするスタンスは変わりそうもない。気分としては隠居生活の中で、自然にという心境。
誤解を恐れずにいえば、後は面白半分に生きることが、これからの晩年の、かろうじて支えになりそうな予感。読んではいないが、老人力というものを隠居(なんともいい言葉)生活の中で、身につけたいとおもう今朝の私です。
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