昨日と一昨日のkpと28日午前10時ぴったりに熊本駅で、次兄が私をピックアップし、高速を一路走り人吉で降り、宮崎に入り、えびので昼食(お蕎麦屋で)をとり、午後2時、私が中学校に3年間通った四家中学校に着いた。四家中学校はもうずいぶん前に廃校になっている。私が元気なうちにどうしても四家中学校に行きたかったのには理由がある。父は当時四家中学校の校長をしていた。父の歌碑があるのでどうしても見て、写真に収めたかったのである。次兄は生家の近くの中学校で四家中学校には縁がまるでないにもかかわらず、遠路私を四家中学校まで案内してくれた。
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| 秋空に、ひっそりたたずむ、夢の跡。 |
13歳から15歳まで通った四家中学校はまさに廃墟、夢の跡地と化していた。いまから、57年から59年前まで私は確かにこの中学校で学んでいたのである。生徒数は一学年50人、一学年二クラスの、田舎は僻地の中学校であった。
私はこの3年間、父から剣道でみっちり鍛えられた。当時与えられた官舎から往復7キロを、父はバイク私は走って通った。思い起こせばこの成長期の3年間鍛えられたおかげで、今も元気に働けているのは間違いない気がする。一心不乱の3年間、まさに鉄は熱いうちに打てである。廃墟の校舎の周りを一周、校舎の入り口に父の歌碑が風雪に耐えて立っていた。ずいぶん苔に覆われていたが、文字は読めた。しばし佇み、無言で見いった。
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| 歌碑と次兄 |
念願を叶え、門川へ走る。途中木城にある温泉施設に立ち寄った。兄共に入る。さっぱりして日向灘を右に眺めながら、日向市の入り、夕刻、門川の手前にある江藤酒店に立ち寄る。ここに嫁いだT代さんはおさなかりし頃、共に遊んだ(向こうが5歳年上)思いでの女性なのである。現在もかくしゃくとして、ほとんど赤字のお店の暖簾を下ろさないで、高齢の身でありながらも、いたずら坊主であった私のことを覚えていて、なつかしがっておもてなししてくれた。次兄との3人での立ち話は尽きず、立ち寄って本当によかった。
(昨日午前中私は再びT代さんに会いにゆき、ドイツドレスデンのぺーターさんに送る焼酎を3本買かった。長いこと棚に置かれた焼酎は風合いが箱に現れていた)
午後五時過ぎ長兄の家についた。当たり前、帰省の度にみんな歳を重ねている。が義理の姉と共に穏やかに迎えてくれた。手作り、心づくしの夕飯を頂き、3人での会話もそここに、午後9時に私はふるさとの匂い、空気に包まれてよこになった。


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