目が覚めたので起きた。沖縄へ出発するまで少し時間がある。妻は休んでいるので猫のように電気をつけず、暗いなか忍び足で台所におりて小さな電気をつけコーヒーを淹れた。
今は夜明けが早いのですぐに明るくなるが、冬は私が起きても暗い時間が長い。若い頃は暗い時間が怖く、苦手だったが、歳を重ねると共に、暗い時間への苦手意識が減ってきた。もっと言えば、闇を大切な時間だと感じるようになってきた。なんといっても泣く子も黙る真っ暗闇は静かである。
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| 非戦争それだけである。 |
ものを想う、考えるには私にはよい時間なのである。私にとって、寝る前の体と、充分に寝て起きた体は、別の体のようにおもえる。だからよしなしごとが臆面もなく打てるのである。
もう十分に老人の私は、電気もつけずに暗い家の中を歩くのに、細心の注意でもって歩く、言わば闇の中を目に頼らず、爪先に意識を集中し手すりを掴み、一歩一歩二階から台所まであるく。訓練である。
老人になって危ないのは転倒だとこころえるからだ。転ばぬ先の杖、積み重ね、心かけ次第で、この年齢でも体は日々変化する。下り坂の変化を、可能なら前向きに、と考えて安易に電気の明るさに、頼らない面白さを見つけたい、のだ。
話はかわる。4ヶ月ぶりに桑江良健、純子さんに会えるのが嬉しい。未だわくわくする。私とはまったくといってもいいくらい、異なる人生時間を歩まれたご夫妻と出会うことができて、30年、感無量のおもいである。
ご夫妻は私がやって来るのを楽しみにしておられる。もうただそれだけで嬉しい私である。何故にこういう感情が湧くのか自分でもわからない。めったにはあえずとも、絶えず心の中では話しをしているかのような関係性を、一方的に私は良健さんに感じる。
それは日本人である私が抱く、沖縄の心という日本人とは異なるアイデンティティーを、その素晴らしさを、感じるからである。そのような人に出会えなくば、きっと私は物事を、真剣に考えると言うことを、まったくしないままに、沖縄の地を踏む、その他多くの日本人の一人に過ぎずに人生をおえたかもしれない。
そのような事を想うとき、今更ながら、今回桑江良健、純子さん、そしてGさんご夫妻に会えるのが楽しみなのである。沖縄の地の歴史に、謙虚に耳を傾ける。元気な間は沖縄に詣で、現地で物事を思考したい、 のである。

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