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2026-05-20

5月中旬でこの紫外線を伴う気温に思う、今朝の五十鈴川だより。

 旅を含め、外の空気に触れるのが好きなのは、ほぼ10歳くらいまで、天然の空間と場所のなかだけでで成長したからである。ということがよく府に落ちる。道が舗装される以前、まだ手で田植えをしていた、あの幼少期の原風景、原体験の記憶の大きさを老いゆくにしたがって痛感する。

したがって最近の私は、記憶の中の(あまりにも急激に変わった、世の中に体が置いてきぼりをくっている)珠玉の想いでを繰り返し反芻することで、エネルギーをいただきながら、今を生きていると言っても過言ではない。私の娘たち夫婦は大都会に暮らしているが、私には無理である。

私の部屋で自由自在に過ごす花

40歳で中世夢が原に職を得たとき、あらためてそのことが身に染みて染みてよく分かった。

都会でモヤシのように、ほとんど死んでいたかのような我が体は、夢が原でまるで水を得た魚のように息を回復し、あらゆる体を動かす四季の労働のお陰でミルミル元気を取り戻していったのである。

以来、今も基本老いた体を天地に解き放ち、四季、季節の変化に耳を澄ませ、折々の変化に寄り添う暮らしを続けている。

だが、古希を過ぎてのこの四年間の夏の暑さは言葉もない、尋常ではない。5月中旬、すでに真夏を思わせる日差しが、この数日私の体に降り注いでいる。このような熱波が今後数ヶ月以上続いたら、わが体はいったい全体どのようになるのか、いささかの不安をもつ。

体は自然そのもの、直結しているので、気候変動の影響をもろに受ける。我が体を通して思うことは、養老先生が一貫して憂えておられるように、人類の行き過ぎた、都市化便利快適至上生活のつけが、気候変動に影響を及ぼしていると、私は感じる。

自然が駄目になるというのは、自然の一部である人類そのものが、駄目煮なってゆくのは道理である。気づかないうちに快適便利さのスパイラルから逃れられないような構造、仕組みのなかで、私を含めた都市型ライフスタイルを享受しているひとたちに、自然が警告を発している、と私は受けとめている。

ではどうしたらいいのか、個人的に各々が考えて生活、行動するしかない。大きなスパイラルの渦には出来るだけ近づかず、シンプルな生活を心かけるくらいしかないのだが、クーラーによる冷暖房を私はよほどのことがないかぎり使用しない。木陰をわたる自然の風のきもちよさは例えようもない。

ギリギリまで耐える(やせ我慢を面白がる)生活を心がけている、といったらカッコつけすぎか。人は人、自分は自分の体調を見極めながら、人工的なものに頼らず、自分の体で考えて、自分の体が気持ちよくなる熱中症対策を、古希以後続けている。

だが、年々からだは下り坂なので、自分なりの対策を、と今年はいつにもまして考えている。基本は毎度のことだが、一日一日やり過ごす。栄養、水分、そしてよく寝る。昼寝をする。頻繁に水を浴びる。などなどでこの5年凌いできたが、来年はいよいよ後期高齢者になるので、なんとか無事にこの夏を乗りきりたい、とまあ、酷暑がやって来る前に思案している。


なるようにしかならない、とはいえこの熱波対策、私には死活問題なので、努々考え過ぎるくらいの対策で持って乗り切る覚悟なのである。

酷暑をしのいだ、我が体を慈しみながら、オーバーではなくギリギリのアウトドア労働が出来るか、できないか、そのような思いなのである。

今のところ、五十鈴川だよりを打てる。打つことが出来なくなるその日まで、アウトドア労働者で在りたい、と思う。

PS 上の写真は白血病のキャリアを持ちながら10年以上生きている猫の花。老いては猫と共に。まったく自由自在にただ存在している。余分な欲望がない。あやかりたい。

下の写真は千住真理子さんのCD。本当に久しぶりにCDを買い(生で音楽を聴く以外、家ではユーチューブもほとんど見ない、聴かない)時折家で、休日の朝聴いている。従って今も聴きながら打っている。この方の演奏だけは体が許す限り聴きたい。

CDの下に映っている雑誌は、1979年から1987年まで8年間発行された、広告批評大全である。先日書棚の奥から出てきた。ずいぶん若いときに影響を受けた方々の発言や文章が掲載されている。淀川長治さん、山田太一さん、谷川俊太郎さん、橋本治さん、永六輔さん、久米宏さん、はお亡くなりになったが、ほかの方々は、タモリはじめ今も現役で都会に居住ししぶとく活躍している。貴重極まる、まさにあの時代を彷彿とさせる記録である。想いでののなかの私の昭和。

私は都落ちし生き返り、お陰さまでいまも生きている。あの時代の渦から逸脱出来たのは、ひとえにふるさとの大自然のお陰である。


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