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2026-05-05

GW、妻と庭木の剪定そのほかの体動かし手入れ作業、午後はお互い自由気ままに過ごし、夜はお互い早々に眠りに落ちる。

 GWも今日も含めてあと二日である。あたりまえだが一日は、不変である。前回も打ったが、普段手が及ばない、繁った月桂樹やスダチその他の枝木の剪定や片付けなどを妻と二人でやっていると、一日は穏やかに過ぎてゆく。有り難いよきGWを過ごしている。

この年齢になると、休日は妻とやれることを一日に一つでもやれる時間を大切に過ごしたいと、私は考えている。70代になって、(手術したことが大きい)年ねんその思いは深まっている。

不滅のジャスミン

わずかな庭木なのだが、キンモクセイの枝木も数年しないでいると、まるで自分の体の手入れをしていないかのように、なってくる。体の手入れのように、我が家のささやかな庭の手入れ、妻の手だけでは及ばないあれやこれやを、共にやれる時間を大切にしたい、のだ。

久しく剪定していなかった月桂樹(生命力の塊)の枝木を剪定しただけで、すっきり、ずいぶん風通しがよくなった。月桂樹の枝木で見えなかったが、妻が長いこと大切にしていたジャスミン、昨年ほとんど剪定したはずなのに、一部分がしたたかに残っていて、香りとともに見事に咲き誇っていた。早速妻が家の中のあちらこちらに活けたら、なんとも言えない香りが家中に充ちる。

老いゆく二人の春の時間の過ごし方、ささやかに庭木や妻が丹精している数本の蔓薔薇や季節毎に植え替える花ばなの処し方の手伝いも、我が喜びである。妻は明日仕事なので、妻とのGWは今日までなので、今日は午前中庭の草取りと金柑の収穫などをする予定である。

ところでこの二日間、午後もう今となっては、手にする事もない数十年本棚に鎮座していた主に20代から30代のころに買って読んだ本、(重たい写真集なども)50冊位処分した。折をみて、少しずつ処分し、どうしても手放せない本、(もうおそらく読むことはなくても、背表紙を眺めるだけでもおいておきたい本)はいましばらくおいておくことにした。

GW、思いきって幾ばくかではあれ、我がこれまでの人生で手にしてきた本を手放せたことは大きい。演劇雑誌など東京の神田の古書街であれば引き取ってもらえたかもしれないが、ここは岡山、処分した。若い頃の思い出のつまった青春時代の本や雑誌、残しておいても娘や孫たちにはきっと無縁だと思うので、決心がついた。

最初の処分が出来たことで身軽になってきた感がある。思い出、思い入れは大切であるが、娘や孫たちには全く関係ない。あくまでも私のなかでの出来事なので、自分の中で昇華できれば事足りる、そのような心境にようやくなったのである。

この世のお別れまで、囲まれていたい本は、据えおく(処分費用は残しておく)ことにし、今日の午後も本を、少しずつ処分し、可能なら年内に、今の本棚の本を半分位にしたい。そして身軽になりたい。

執着することをやめたい、のである。もっといえば手放したい思いと、手放したくない思いの間をいましばらく揺蕩いたいのである。まことにもって、自分と言う器はやっかい、矛盾そのものの総体である。

そんなこんな、五十鈴川だよりを打ちながら、揺蕩いたいながら、私の5月初旬の今は流れてゆく。

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