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2026-05-02

薫風に誘われ、布団を干し、我が部屋、トイレ、ほか雑巾掛けをした後打つ、今の五十鈴川だより。

 昨日は春の嵐かと思いきや、狐の嫁入りの晴れ間、そして雷を伴うにわか雨、そのようなお天気の中、合間合間なんとかカッパをきて働くことが出来た。

そして今日は一転の五月晴れである。。お隣の家の五月の花が満開である。明日は雨の予報なので晴れの一日を大事に過ごしたいとおもう。

今朝気付いたのだが、郵便受けに今は山形に住むKさんからお葉書が届いていた。2012年東北岩手県の大槌町で未曾有の震災のボランティアを、たった一日ボランティアしただけなのに、淡い交友が届いている。

Kさんからのお葉書、嬉しく有り難い。

今回の山火事で私のことを思い出された様子でのお葉書だった。お葉書にはお葉書で、私もまた近況のお便りを書くつもりである。私には数回しかあったらことがない方なのだが、強い縁を感じる方が何人かいる。

共通するのは、地に足をつけて大人(おとな)しくきちんと生活をされていて、浮わついたところが微塵感じられない、ということである。

私はそういう知人、友人から特にコロナ以後、学びながら生きているといっても過言ではない。コロナ以後、友人知人の関係性が大きく変わったことはまちがいない。体が変われば世界も変わる、との言葉を文字で知らしめたのは養老孟司先生である。人間は不確かな実在で、病気になったり、大切な人を失なったり、孫がうまれたり、との経験、未知の世界をくぐり抜ける度に、流転しながら昨日の自分とは異なる自分になって存在し続けている。

話を戻す。数回しか会っていないKさんにも、お葉書を眺めているうちに、あの日瓦礫の撤去を共にしたあの地区の風景が甦ってきた。元気なうちに会いたくなった。富良野塾の縁切れない仲間もそうだが、体を動かし共に苦楽を経験した間柄は、ただ楽しいことだけの縁とは、やはり異なる。

さて、今日からごGW、五連休である。が、私も妻も何の予定もない。ほとんど家で過ごすつもりである。庭木の剪定、ほかふだんはやれない家の中、外のKとをやってほしいと妻に頼まれている。老いてはよほどのことがない限り、妻優先で事を進める。もう10年以上夫婦二人暮らしである。

今日は、長女の娘未彩(みあ)の3歳のお誕生日である。昨日は長女の旦那さん、レイさんの40歳のお誕生日であった。私が岡山に移住した歳である。あれから34年、まさに光陰矢のごとしである。レイさんにお祝いのメッセージを送ったら、感動的なお返事メールをもらった。

親バカ、爺バカを自認している。このような能天気さは老いてますます顕著であることも自覚している。でももう自然に流れる自由自在五十鈴川は、ある日突然、決壊(うてなくなるまで)するまで、指に任せて打つのである。

PS GW、打つのではなく、久しく会っていない友にお便りが書きたくなった。紛れもなくKさんからのお葉書の影響である。手書き文字の力はやはり凄い。私もKさんにあやかる。



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