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2025-07-30

真夏の朝、Iさんから嬉しい肉声の長いお電話をいただきました。そして想う。

 7月の労働は昨日でおしまい、朝から水浴読書をしていたところ、Iさんから思わぬ嬉しいお電話をいただき、打つつもりはなかったのだが、結果打ちたくなった。インターネットの普及で、私の暮らしもまた一変してしまって、ほとんどのやり取りはメールになりつつある。

かく言う私だってそうである。だが何度も打っているが、肝心なことはやはり、お便りやお電話が嬉しい。とはいっても、いまさらのこのネット時代、私だってほとんどはメールですませている。

が、最近の動向に関しては知らなかった。(何しろ新聞も止め、余計な情報遮断生活に入っているからである)聞けば、今は熊本にすんで農耕生活に従事しておられ、都会から熊本移住後に書かれた本であるらしい。

Iさんは以前お会いしたとき、津軽弁で書かれたどなたかの詩集も私に読んで欲しいと仰っていた。(情報遮断生活でも、肝心な情報はこうやって入ってくるのだ)

私が急遽五十鈴川だよりを打ちたくなったのは、Iさんのような人に薦めたくなるような本、読んでほしい一人として直接お電話をいただいたからである。現代の私の生活のなかで、このようなお電話は稀である。

Iさんはスパイラルアームズの公演でも、チケットを友人知人にすすめてくださったり、フライやーを配布してくださったり、私のアクションに熱く協力してくださる、わたしにとっては有り難き稀びとなのである。岡山に移住して33年、このような意外な知己(利害関係がまるでない)に出会えたことの有り難さを、一行五十鈴川だよりに記しておく。

PS 蛇足だが、私も五十鈴川だよりに読んでいる本をずいぶんアップしている。いずれも今を生きている生活のなかで精神の糧としている本である。この夏、本に救われている。久しぶりに坂口恭平さんの本を読むのが楽しみである。

2025-07-27

蝉時雨、聴きつつ眺む、夏の雲、今朝の五十鈴川だより。

 昨日も打ったが、やせ我慢の夏である。高温多湿の日本の夏、しかも、気候変動の渦中、オーバーではなく、人類の行く末さえもいやでも視野に入れ、案じるほどの不安を抱え込んでおられる方も多いのではないかと、私などは感じている。

先の参議院選挙で急遽にわかに議席数を伸ばした政党の、党首のアジテーションなどを画面で斜め見すると、直感的に得たいの知れない薄気味悪さを感じてしまう。まさに時代の芻勢は、のんきに構えてはいられないほどに、ひたひたと邪悪な勢力にのみ込まれてしまう危うさを、暫し老人を忘れて感じる。

バッタと共に過ごす夏

この事に関して、今朝はこれ以上打つことは控えるが、あまりにもの熱狂的な、付和雷同する民衆の姿には、一抹の気持ちの悪さを覚える事だけは、五十鈴川だよりに打っておく。

さて、話を変える。6月も猛暑が続いていたが、蝉の鳴き声はあまり聴かなかったのに、私の感じでは7月の19日くらいから、俄然蝉時雨の夏がやってきた、と感じている。日本列島に蝉時雨が一斉にシャワーのように降り注ぐ夏が来ないと、日本の夏ではない。

蝉時雨を聴くと、老人の私はいまだに、少年期の思いでと共に、五十鈴川で毎日(あめや台風で行けなかった日を除いて)泳いで過ごした我が人生の黄金の日々を思い出す。お金や物質的には恵まれてはいなかったものの、いやというほど遊んで飽きるということが、まるでなかった日々を、老人の私は心から懐かしい。遊べる体こそが宝である、と知ったあの頃が。

あまりにも遊ぶことに熱中し、勉学そっちのけで、学校での成績は振るわず、その付けが、いまだに尾をひいていることを、どこかで感じてはいる。が、なんとかこの年齢まで、身すぎ世すぎ生きてこられて、蝉時雨を聴きつつ、五十鈴川だよりを打てることの平凡な有り難さを噛み締めている。

話のまとまりが、なくなりそうなので、これ以上打つことは控える。が、これは極論かもしれないが、いま自分の人生を振り返り想うことは、10才くらいまで、海山川でいやというほどに遊ぶことに熱中した時間が持てたことに限りのない感謝をもつ。(家に全く本がなかった。かえってこれが良かったとさえ今は思える)

遊ぶことに夢中で、勉強しなかったので学校での勉強はできなかったが、小学高学年頃から、気が付くとふつうの成績はとれるようになっていた。成績は他者に委ねられるものではなく、結局は、自分自身に委ねられてゆくしかないという、厳しい自然の掟を、少年期にかすかに感じたことが、なんとかこの年齢まで生きてこられた原点(原因)である。独学の面白さ、自分の成績は自分でつける。(つけたい)

生まれてくる時代、場所、環境を選べない掟をヒトはいきる。蝉時雨はすべての人に訪れる。日本の夏の大自然のプレゼントである。蝉の地上での命は短くも儚い。老いの夏、蝉時雨、聴きつつ念う、有り難さ。

2025-07-26

下半身水浴び読書で酷暑を耐える私の夏、今朝の五十鈴川だより。

 あっという間に、またもやの土曜日がやって来た。この実人生では、ほとんど体感したことのない暑さを、すでに2ヶ月近く過ごして、なんとか五十鈴川だよりを打つ程度の、元気さをキープしていられるのが、我ながら有難いと、ただ念仏を唱えている私である。

その暑さのなかで、草刈り他の肉体労働がやれていることの有り難さ、やる気がいまだ失せていないことへの、我が体への感謝はいくら綴り打っても足りない。決して無理をしているわけではない。10月12日の猪風来さんの、縄文祈りのイベントを終えるまでは、なんとしてでも、我が体をいい状態でキープしてゆくゆくべく、この未曾有のあまりの過酷な夏を、いい感じでしのがなければならない、のだ。

ノートを録りつつ読む、凄い。

年齢を忘れているわけではないのだが、体年齢は、人それぞれである。私は唯一無二の我が体を過信せず、猪風来さんからのお声かけに、わずかでもお役に立てるように、この夏を有意義に生活するべく、知恵をしぼらねばならない。

すでに書いたが、企画をするのには年金生活だけでは、まずもって無理である。だから私はこれまでの人生で身につけた、かなり得意な肉体労働で、我が体を活性化させ、我が体にすがるのである。もっと打てば、それが高齢者のわたしにとって一番の健康法であり、あえて打てば生き甲斐なのである。

遊行期の私のこれからの時間を、枯れつつもいかにいかに生きてゆくのかを考えたときに、想うことは、誰かの(家族を含めた、友人知人すべてので会えた人たちの)お役に立ちたいということである。

話は変わるが、まもなく次女に代2子が誕生する予定である。わたしにとって、4番目の孫である。この7年、我が家族に新しい命が、次々に生まれ、その事が、私を活性化させ続けている。理屈ではなく命の輝きのお役に立つためにも、老いゆく体の健康寿命をキープするためにも、老いの存在理由を正当化、カッコつけるためにも、私は限界まで働きたいのである。もっとカッコつけるなら、その延長で生を閉じられたらと、祈るのである。言うは易しである、が。

さても、また話は変わる。リベラルアーツ、教養、知的レベルのあまりの足りなさを、痛感する游行期を私は生きている。この酷暑をやり過ごすために、私は繰り返し読むに足りる本を、ちびりちびり読んでいる。へーっ、と教えられる度に暑さを暫し忘れる。水風呂に下半身を浸しての読書である。ごぜんちゅうは労働、午後は水浴び読書で猛暑を耐える。やせ我慢の夏である。

2025-07-21

昨日、津山の奥座敷阿波(あば)村を夫婦日帰り旅、今朝の五十鈴川だより。。

 別に自慢でもなんでもなんでもなく、私はこの夏も自分の部屋に冷房を入れたことがない。汗をかいて寝苦しい夜はあっても、時折3方の窓から入る自然な風に身をまかせしのいでいる。

冷房のない部屋で、高齢者が熱中症でおなくなりになった報道を耳にする。妻は冷房をつけて過ごせと、しきりに心配して意見するのだが、あの人工的な涼しさにいまだ馴染まない私である。

滝を目指して山道をゆく妻

いい意味でと思いたいが、耐乏生活とやせ我慢は、痩せた我が体に染み付いていて、瞬間的にはクーラーを受け入れるものの、ずっと続くと、体が拒否反応をするのである。この暑さのなか、なんとか今日までしのいでいるし、体がこの暑さに順応してきているのもかんじている。(あらゆる知恵を絞り、のらりくらりやり過ごしたい)

食欲があり、眠れないということが、私の場合ないので、この夏を今のところなんとか元気に、五十鈴川だよりを打つ程度の気力をキープしているのではないかと、考えている。

新陳代謝のよい体を、意識的に自覚してキープする方法を自分なりに考えて、工夫する。これしか今現在の私には、この暑さの夏をしのぐ対策はない。これが奏をこうしているのだと思いたい。汗をかくときには汗をかく。

その分きちんと栄養を補給し、疲れたらとにかく風の抜けるところを探して、横になる。冷水をまめに浴びる。昼寝をする。熱中する本を読む。などといったところが私の、暑さ対策である。

ところで、この3連休、珍しく妻と私の休みが、同じだったので、昨日急遽津山の奥座敷阿波(あば)温泉まで遠出した。出発は朝7時、着いたのが9時過ぎ、西大寺から吉井川を遡るコースを走ったのだが道がすいていて、ずいぶん早く着いた。

阿波村の一番奥まったところ、渓流が流れていて、手頃な避暑地として、バンガローやグランピング、テントなどが完備されている。食事をするところもあり、夏休みに入ったばかり、家族連れやカップルで賑わっていた。(半分以上は県外車、札幌ナンバーもあった)

標高が700メートルくらいあるので涼しく、急に思い付いて出掛けて良かった。遠出が苦手な妻も、深い山からの涼風と、綺麗な渓流にすっかりご機嫌な笑顔になっていた。暫し渓流に沿って散策していると、立派な茅葺き屋根の民家の庭先で、高齢のご夫婦と友人男性の3人が、お茶の時間をしておられたので、短いゆきずりの会話を楽しんだ。

私が立派な茅葺き屋根ですね、とお声掛けすると、もう私たちでこの家の茅は最後ですと、おっしゃっていた。そのご主人が、せっかくここまで来たら、とても珍しい滝があるので、見てきたらと勧めてくださり、車で滝のすぐ近くまで行けるということで、二人して滝巡りをすることに。大滝、白髪滝、布滝(のんだき)の3つを回ったのだが、これが素晴らしかった。

滝にみいっているときは我々しかおらず、来て良かったねえ、と何度も二人してうなずきあった。性格がまるで異なる我々なのだが、滝は二人とも大好きである。(何枚か写真を撮ったので、順次五十鈴川だよりでアップします)、気がつくと時刻は11時近く、村の中心部にリニューアルオープンした温泉があったので(70才以上は600円)入ることに。夏はあまり温泉には入らないのだが、せっかくなので。

結果は満足した。晩秋又来て入りたいと思った。温泉を出るとお昼。すぐ側に手頃なレストランが併設されていたので、そこでランチ、チキンと、カツのランチ(それぞれ1000円)をいただいたのだが、熱々の揚げたてで満足した。昼食を終え、一路家を目指した。途中コンビニで私はコーヒー、妻はアイスを。予定の午後3時前、我が家に。

短くも、妻と私の小さなよき思い出旅ができたことを、五十鈴川だよりに記しておく。

2025-07-19

蝉時雨を聴きつつ秋を見据えて打つ、今朝の五十鈴川だより。

 暑い夏が続いている。老いた体が悲鳴をあげている。が、今のところなんとか労働しながらしのいでいる。今日から貴重な3連休である。先ずは、五十鈴川だよりを打って、この私にとっての短い夏休みを有意義に過ごしたいと、思案している。

暑さ対策のことは、何度か記している。この暑さの、特に数日前、雨が降るまでの、雨を待ちわびたまでの日々は、このまま雨が降らなかったら、と思うとぞっとした。だから雨が降った日は、慈雨と言う言葉が沁みた。昨日も午前中9時頃までは雨だったが、激しい雨ではなかったので、雨のなか一人草を刈った。

松岡正剛さんは私の先生である

暑さのなか、来る日も来る日も同じような仕事を繰り返している私だが、いつも想うことは、今日が自分にとっては一番新しい日である、ということである。亡き母が、若き日の私が先の見えない人生に焦りにもにた弱音をはくと、今が一番若いと思いなさいと、エールをおくってくれたことを、この年齢になっても臆面もなくありがたく思い出す。

さて、小学2年の孫は夏休みにはいる。セミもようやく本格的に鳴き始めた。私は夏が好きである。幼少期の貧しくも、姉兄弟、両親、私が小学5年生まで全員で共に暮らした愉快な夏休みの、おだやかな記憶の黄金時代が俄に、未だ鮮烈に甦るからである。郷愁である。(井上陽水の少年時代という夏の名曲を聴くと、充分に老人ではあるのに、未だ心がうずく。あの家族の原風景。時代が余りにも急激に変わり果てたとはいえ、孫たちには夏休みの思い出を、と願わずにはいられない)

その事のいちいちを記す事は、今はしないが、肉体労働が不可能になり、企画がやれなくなっても、意識がしっかりとしていれば書いておきたいことだけは書いておこうと念っている。

さて、この暑さのなか、あぶらあせを垂らしながらの読書を、ちびりちびりと続けている。草刈りをするように、続けている。五十鈴川だよりを読まれている方は、また同じ話だと思われるかもしれない。読んでいる本は同じ本であっても、読んでいる私は、変化しているので、昔読んだ本であっても、全く新しい本なのである。

昔は歯が立たなかったなかったわけではないのだが、より深く読める、感じる自分が育って来ている。(のだ)いわば、面白いのである。草刈りだって、未だ面白いから、何処かに充実感を感じるから続けられるのである。草刈り職人、音読職人、企画職人、何かに夢中になる、成れる、そのような悦びが、いまだ私を活性化させる。動くからだのお陰である。

話は変わる。4月30日、スパイラルアームズを岡山で企画したことで、名状し難い老いの喜び感覚が深まっている。それは友人たちとの関係性、コミュニケーションの変化である。(長くなるので、割愛するが、60代までとはまたことなった充実感を、70代になって感じられる喜びである。積み重ねのなかで、脳の神経細胞シナプスが伸びてゆくかのような)

年齢を重ねても、お互いいい感じで再会でき、いきなり阿吽の呼吸で企画チームが組めることの喜び、醍醐味をあの日、4月30日に私は体感したのである。あの喜びを、いまだに私は草を刈りながら反芻する。7月末には猪風来美術館20周年を祝うビッグイベントのフライヤーが完成する。

暑い夏は今しばらく続くが、やがて終わる。草刈りしながら、汗をかきながら、一日一日しのいで秋を見据えて生活したい。

2025-07-13

朝一番、菜園場で、日照りのなか、いくばくかの実をつけてくれた野菜を収穫して想う、今朝の五十鈴川だより。

 朝一番菜園場にいって、乾いた大地にかろうじて実をつけた重宝極まる、ミニトマト、枝豆、なす、シシトウ、ピーマンを収穫してきた。この物価高ご時世老夫婦にはとてもありがたい。

義理の母が、土に触れるのが大好きで、多種類の野菜を育てるのが、上手であった。私のような無精ものが、家庭菜園を継続してやれるなんて、思いもしなかったが、気がつけば、もう6年も、菜園場で野菜を育てている。(昨日はわずかだが、じゃがいもも収穫した)

種類は少ないのだが、充分に食べられる分量を、時には娘たちや友人たちに送って、喜ばれるくらいの玉葱も収穫できるようになってきている。どんなに苦手なことでも、続けているうちに、学習する(している)というのが人間なのである。

日照りで茄子は萎びているが、有難い

始めた頃、妻にお父さんにやれるかなあ、とどこか半信半疑であった。自分でもとてもではないが、母のようには無理、出来ないとは思っていた。だが、手をかければ、それなりに実をつけてくれるということが、経験をとおしてわかってきてからは、楽しさが年々増している。

まして、野菜の高騰が続いたりすると、正に天と地の恵みを実感するし、何より安心で旨い。日本列島は豊かな水、海と山と川の邦である。

一極集中、はあらゆる意味で、人間の心を蝕むように思える。日本の田舎の里山は、恵みの土の宝である。ちょっと大地をお借りして、特に我々のような高齢者世代が、菜園場での楽しみを見つければ、年金生活者にとっては、色々な意味での豊かな晩年ライフが送れるのではないかと思う。

何よりもお金で野菜を買うのではない悦びが見つかるのは、この6年継続してやってみて間違いない。

話が脱線するが、一回こっきりの人生、ただ消費者として、大部分をいきるのではなく、ほんのわずかでもいいから、物を自分で作る。自分の体を、動かして何かを成す悦びを体得してゆく、という喜びを見つけられれば、老いもまた輝くと愚考する。

先ずは何はともあれ、イキイキ健康ライフ。食と生は直結している。喰うということ、喰えるということの、有り難さ、食い物の一部、わずかを自分で育てる喜びを、私はもっと見つけたい。そういう仲間と、飲み食い語り、その上で面白い企画がやれたらと夢見る。お金という概念の無かった一万年以上の、生を受けた環境風土での縄文人(びと)世界の穏やかさに、老人の私は、限り無く憧れる。

水の惑星、この地球に空き缶や、プラスチックのゴミがまったくなく、生と死が穏やかに繰り返され、それはそれは万物生命がかがやいていて、美しかったに違いない。命が経済活動、お金に汚染されず、時間という観念も文字もなく、狩猟採集、住居を創り、人間は歌い、踊り、祈りの土器をそれぞれの環境で創り、ただ存在していたのだろう。(現在、水の惑星は悲鳴をあげている、その上で生活している大多数の人類が、酷暑の夏悲鳴をあげている)

2025-07-12

暑くなる前、菜園場で一仕事したのちの、つらつら考える今日の五十鈴川だより。

 東京やその他の地域では、集中したゲリラ豪雨の映像が頻繁に報じられているが、私の暮らしているエリアでは、余りの雨の降らなさに、我が体まで干上がりそうである。気候変動。識者がいくら訳知り顔に、それらしいご託宣を述べても、どこか釈然としない。

経済格差は降水量にまで、二極化しているのかと、余りのバランスの悪い雨の降りかたに、ぼやきのひとつもでようというものだ。事実としての我が生活エリアの日照りつづきは、やはり自然の一部としての人間の内面にまで悪影響を、与えてしまいかねない。いやすでに度重なる地震報道などで、古さとを一時的に避難しなければならなくなった、トカラ列島の方などの心中を思うと、なんともやりきれなさが、つのる夏である。

今朝の我が家のカボチャの花

充分に高齢な私、このような夏、肉体労働なんかに勤しむ私のことを、妻はしきりに心配する。が所詮なるようにしかならないと、私は何処かで腹を括っている。体があかんという信号を発したら、すぐ休むようにしている。バイト先にも伝えているのだが、早朝や日没前に労働するようにして、お昼前から夕刻までの時間はできるだけ避けるようにして働いている。

五十鈴川だよりを打ちながら、いかにして一日一日、妻との二人暮らし老夫婦生活を慎ましくも、充実感をもって生きられるのか、生きられないのか。

お迎えまで、知恵を絞って考えないと、やすきにながされてしまう。別に流されたっていいのだが、そこが小者の情けなさ、往生際の悪さを生きるのである。

凡人の私でも、このようなことを考える。この閉塞感極まる、いかに老いるか超難時代を、逆転の発想で生き生きとしのいでおられる年長者がいる。そういう方々が、私のお手本支えである。私は非常に横着で、怠け者である。もうこの年齢、人間としての勤めのほとんどの役割を終え、静かにできるだけ好きなことにのみエネルギーを注ぎ、余分なことはせず、猫のようにくらしたい、とただ願っている。

この年齢で今のところ熱中症にもならず労働し、時折五十鈴川だよりを打ち、がまのあぶらのような汗をかきつつ、本を読む。私の暑さ対策、集中力の持続、集中した時間をできるだけ持つ。栄養を摂る。よく寝る。頭で考えない。体が喜ぶことだけ考える。

明後日から大好きな相撲が始まる。相撲だけは見る時間をお惜しまない。もうその他の観ることに時間がとられるスポーツや映像コンテンツは、よほどのことがない限り、人生の残り時間を考えると、手放している。遊行期、日々滋養を頂けるのは、やはり書物である。今日も松岡正剛先生の本を読む。(私には、自分がかってに先生と思うかたがいる、松岡正剛さんはその1人)読書は、著者との対話、教わること限りなし。遅読だが面白い。

ワクワク面白がる精神、好奇心がないと先ず、企画は出来ない。この世とあの世、hereとther,アンパンマンんは言う、何のために生きるのかと。それがわからないと、いやだという。愛と勇気だけが友達だと。すごい歌詞である。やなせたかしさんの言葉を噛み締める夏にしたい。

2025-07-09

令和7年7月7日(月曜)の出来事を記す、五十鈴川だより。

 昨日に続いて、忘れないうちに7月7日の日録をスケッチしておく。10時を少し過ぎて、10月12日に向けての打ち合わせ、ミーティングが始まる。

参加者は猪風来さん、よし子さん。新見市の教育委員会から、お二人。瀬政さん、大場さん、Nさん、香川からOさん、それに私の8人によるミーティング。

事前によし子さんが、打ち合わせレジュメを準備してくださっていてスムースにすすんだ。

1主催、共催、後援、の確認。2当日のタイムスケジュール。3駐車場、送迎について。4申し込み、受付について。5散らし、ポスターの内容と部数を確認。6前日準備、当日仕込み、音響、楽器などの確認。7一部(野焼き)と二部(縄文鼓演奏)への繋ぎの確認。8ボランティアスタッフの役割、分担の確認。

8項目についてのミーティングが約2時間お昼まで続いた。詳細は割愛するが、集客目標の250人達成の成否の要とも言えるフライヤーについて、担当の香川O氏の現段階でのデザインについて、活発な意見が述べら交わされ、その意見の集約を踏まえて、7月31日の次回のミーティングまでにフライヤーを完成させることが決められた。

私は、広報、PR、マスコミ対応を担当する。以下、駐車場、案内板設置等の係。当日受付、物販の係。舞台設営仕込み等の係、昼食バザーなど。送迎について。駐車場、会場事前整備等の項目について、役割分担を詰めることができて有益なミーティングになったことを、五十鈴川だよりに記しておく。

ミーティングを終え、コンビニのお弁当で和気あいあいの昼食を済ませ、なんと新見から車は蒜山の瀬政さんの別荘にと向かった。有漢、真庭、高速で湯原温泉まで。そこから蒜山の瀬政さんの別荘へ。着いたのが14時頃、Nさんは瀬政さんの別荘は初めて。私は何度も来ているが、とはいっても、十数年ぶり。Nさんはすっかりご機嫌で、そばを流れる小さな川で水遊びに興じている。瀬政さんは別荘に風を入れ、野良猫に早速缶詰をあけて、食事を与えていた。

ミーティングのあと、新見から、よもや蒜山へのドライブが待っているとは思いもしなかったので、私は瀬政さんの蒜山の別荘旅を、ただ楽しむことにした。ひさかたぶりの瀬政さんの蒜山の別荘は、全く変わらずそこに在った。Nさんが小川で遊んでいる間、私と瀬政さんは、瀬政さんが育てて6年目のラズベリーの2本の樹が、実をたわわにつけていて、それの収穫をした。(わたしもこんなにも実をつけてくれるのであれば植えてみよう)

七夕の日瀬政さんから
頂いたラズベリー

収穫したのち、瀬政さんが淹れてくれた熱いコーヒーを、小川の涼しい風をうけながら3人で頂いた。思いもかけない蒜山の半日日帰り旅を堪能した。帰りは勝山辺りから高速に入り、Nさんと瀬政さんが交代で運転し、岡山へ。北方郵便局にNさんの車がおいてあったので、Nさんとはそこでお別れ、そこから我が家までは瀬政さんが西大寺の家まで私を送ってくれた。午後時計は7じまえであった。

男3人での思わぬ1泊2日の真夏日の旅は、口に出すのも嫌になるほどの、異常気象猛暑をしばし忘れさせてくれるには、五十鈴川のへの旅に続いて充分な旅となった。これで今年の夏が乗りきれそうである。

2025-07-08

7月6日、日曜日の行動日録、忘れないうちに打つ五十鈴川だより。

 昨日と一昨日、二日間の出来事を新鮮なうちにスケッチ風に五十鈴川だよりに記しておく。

6日土曜日、午前10時に岡山駅で、Nさんと瀬政さんと3人落合、ピックアップしてもらい一路新見の猪風来美術館を目指す。瀬政さんの車、運転するのはNさん。私はただ乗っけてもらった。途中賀陽の道の駅で、3人で早めに弁当を食べ、昼食とした。12時過ぎについたので、すぐに展示されている19人の縄文造形作品をみる。多様と言うしかない超ユニークな3Dプリンター創作作品まで、90以上の作品が展示されている。

是非訪れて欲しい

午後一時から、スパイラルアート展の参加者のギャラリートークが始まる。暑くて汗が吹き出すなか聞き入る。展示スペースが狭いなかでのトークなので、会場に入りきれない人もいる。訪れているかたもユニークである。

うだるような暑さ、狭いスペースのなかで、お話しする方も、聴く人たちもその暑さをものともせず、渾然一体となってどう表現していいのかわからない、不思議な時間を全員が共有した事実を五十鈴川だよりに記しておく。

出展している作家御本人がそれぞれ作品についてお話されるのが実に新鮮で、興味深く、そして面白かった。何しろギャラリートークなるものに、初めて参加し、縄文世界に魅いられた作家のお話に耳を傾けたのだが、理屈抜き、愉しく面白く参加してよかったという思いが、五十鈴川だよりをうたせる。

13時から14時までは1階の展示スペースでギャラリートーク、14時から15時までは2階の展示スペースで。15時からは敷地の反対側にある創作ルームに場所を変えて、(ここは過密ではなく)リラックスした雰囲気での来館者とのフリートークが行われ、内容の濃いお話を、主に造形作家たちの口から聴くことができた。

最後は猪風来さんの火炎土器の構造についてのお話でフリートークが締め括られた。(すごい内容だった)なんと時間は17時近く。縄文世界に魅いられたひとたちの熱気を私も十分に浴び、ぐったり疲れ、(気持ちよい疲れ)猪風来美術館を後にした。瀬政さんとNさん私の3人は吹屋の今宵の宿である元仲田邸にむかった。

宿についてすぐに一風呂浴び、ちょっとやすんですぐ夕食、3人での夕食はもちろん初めて、愉快な夕食となった。鮎の塩焼き、天ぷら(すべて地物)完食。わずかのビールで話が弾み、聞き上手のNさんの故か、我が青春時代の滅多にしないお話なども、口から飛び出したのは、いい意味でと思いたいのだが、老いて、話せるうちに話しておこうという覚悟が深まったからだろう。本当に老いたら、記憶が飛んで話せなくなるかもしれないのだから。

元仲田邸に泊まるアイデアは瀬政さんの発案。明日月曜日(七夕)は午前10時から10月12日のビッグイベントに向けてのミーティング、スケジュールがタイトなので、このような展開に。瀬政さんのアイデアがなかったら、このようなことにはならなかっただろう。相性、タイミング、気の流れでの意外な展開こそが、ささやかな人生の喜び醍醐味である。午後10時、長い充実した一日を終え、床についた。

7日、朝6時起床。少し体操してのち、吹屋の地域起こし仕掛人、大場さんが(彼は元仲田邸の管理を時おりしている)なんとも趣のある別邸(明治時代の建物)朝食前わざわざ美味しいコーヒーをいれてくれる。(心つかいに深く感謝します)最高に美味しくいい時間が過ごせた。

7時45分からこれまた美味しい朝食をいただき、8時半過ぎに宿を発ち、吹屋のコンビニでミーティングのお弁当を求め、高梁にでて、そこから初めて高梁川から、新見に向けて左側の道をドライブ、川沿いの急斜面に建つ人々の家、手入れされた日本の夏の棚田や畑の風景が素晴らしかった。日本の里山の景観には、きっと縄文時代からの日本人の深層DNAが眠っているのに違いない。本日はここまで。

2025-07-06

猪風来縄文美術館に出掛ける前の五十鈴川だより。

 今日は、ほぼ3週間ぶりに、現在猪風来美術館でひらかれている縄文スパイラルアート展に出掛ける。午後1時からギャラリートークが行われるので、ちょっとその場に居合わせたいと思っている。猪風来さんのお弟子さんたち19名の縄文アートを虚心に作品に向かい合いたい。

正直、昨年秋、猪風来さんからの一本の電話をいただくことがなかったら、こんなにも猪風来美術館に足しげく通うことは無かったかもしれないと考えると、ある種不思議な気持ちに襲われる。事実として猪風来美術館に出掛けることが、うまく説明できないのだが、どこか愉しいのである。

何故楽しいのかは、私にも深い自覚をもって説明することは不可能である。猪風来さん、よし子さんとの何気ない他愛もないやりとりが気持ちが良いのである。また猪風来さんの縄文創作年代作品に、取り組みこめられた思いの丈、その深さ、ご子息原野さんの作品について語る愛情というしかない思いに打たれるからである。何度聞いても新鮮で面白い。(あまりにもの愚直なまでの一途さに、縄文人が忽然と現れてきたのではないかと、ときに思えるほどである)

私のように絶望的に現世に染まった俗物にとっては、それを洗い流す、物言わぬ五十鈴川に通じる、大いなるものに包まれている安堵感を覚えるのである。そのような大人(たいじん)傑物から、20周年の企画の応援を頼まれるなんて、意外性の極致、その事実にとまどいつつも、企画者として関われる嬉しさが、私にくりかえし五十鈴川だよりを打たせるのである。

おおよそ、あと3ヶ月で10月12はやって来る。明後日7日七夕の日に、5月27日以来のミーティングも開かれる。本番当日まで、何が自分に出来るのかを草刈りしながら、五十鈴川だよりを打ちながら、知恵を絞って考えたい。

今日は瀬政さんの車で行くことになっている。瀬政さんは私とは異なったスタンスで、縄文世界に深い関心を寄せている。フライヤーを創っている(デザイン一切)那須さんも強力にボランティアしている。それに吹屋の地元を深く愛する大場さん、今のところこの4人が黒子として熱く参集している。

妻丹精、マンドリアの花

私としては当日も含め、この倍以上の積極的な、自分の人生とどこかでクロス、接点の火花が散るような人材ボランティア、我がこことして動く(うごける)人間を求めている。これまで様々な企画をして来て、いつもほとんど個人的に信頼できるかたに、ご無理をお願いしてきたが、今回ももちろん、お願いするつもりである。

プラス、意外な人が加わることを私は望む。黒子に徹する喜びを味わいたいのだ。黒子の力で、より記憶に残る20周企画イベントになるようになるように。

猪風来さん家族が生涯を賭して発見した縄文土器造形世界の空前絶後のイベントを実り豊かに終えるためには、肝をわって話し合い、有意義で用意周到なミーティングを重ね(あと5回は必要な気がする)冷静に細部を詰めてゆかねばならない。

2025-07-05

猛暑の最中、熱中症対策、チビリチビリ本を読み、がまのあぶら、汗をかき新陳代謝を心がける。

 7月に入り2回めの五十鈴川だよりである。新聞購読を止めてもう一年以上になる。瀬政さんや、河合さんから、折々これはという記事を転送してくれる友人がいるのでとても有難い。昨日も瀬政さんが、猪風来さんや、セバスチャンサルガドの記事を送ってくださったので、読むことができた。

話は変わるが、私は日々飛び込んでくる様々な情報に正直うんざりしている。だからなのである新聞の購読を止めたのは。50歳を過ぎる頃から折々目についた、記事や書評を切り抜く作業を、我ながらよく続いたとおもうが、ノートに切り抜いては貼り付けていた。そのノートは棄てられず、数十冊今も手元に置いてある。

真面目に考える。新しい記事もさることながら、こ

元気が湧いて来る本。

れら切り抜いた古い記事の方が、今を生きる私にとっては、限りなく面白く有益であったりするのである。もう日々のニュースソースよりも、過ぎ去った(おなくなりになった)方々の記事などの方が、今の私には活が入るのである。

おそらく、猪風来さんのお仕事や、(猪風来さんは現役バリバリである)セバスチャンサルガドの仕事は、これからの私の人生の持ち時間をいかに生きて行けば良いのかの指標になる。先日故郷に帰省し、何時ものように五十鈴川の畔で過ごした82歳の姉との時間の有り難さは、言い知れない。

この世での、姉の今現在の様子が、一枚の五十鈴川での写真に撮れたことがただよかった。セバスチャンサルガドが亡くなったのは、今年の5月、82歳である。姉だっていつ天命に召されるか分からないし、人は皆母なる大地、宇宙へと還ってゆく摂理を生きるしかない。

と、ここまで打って論旨がまとまらなくなってきそうなのだが、あえて打ちたい。今回の五十鈴川帰省旅で、初めて姉兄と現世で会える時間が有限であることを実感したのである。その事で、五十鈴川の、日向灘のあまりものすばらしさを、お金ではとうてい買えない、大自然のただ行けば、いつもそこに在る恵みの偉大さ(どのようなテーマパークもかなわないのだ)に気付き、茫然とし、打たれたのである。

ところで故郷への帰省旅のお伴に、たまたま図書館で見つけた【マーク、ボイル著、ぼくはお金を使わずに生きることにした】、2011年発行の本を持参し、チビチビ読み進めこの猛暑のなか、昨日読みおえた。

当時30歳のマーク、ボイルが一年間お金を使わずに生活した、貴重極まるこの現代消費文明生活のなかでの、奮闘実践記録のレポートである。【世界を変えたければ、まず自分がその変化になりなさい】マハトマ、ガンディーの言葉に深く揺る動かされた彼は実践する。その一心不乱なあまりもの実戦力は、老人の私にも届いたことを、五十鈴川だよりに打たずにはいられない。

そのあまりにも、がんじがらめ欲望消費がた資本主義(つぎつぎ新製品で人間の欲望に火をつける)世界に放り込まれた人類の行く末に絶望した若者が、脱出する方法、終わりなき試行錯誤のリポートである。私が感動したのは、太陽光で古いパソコンを使いながら、このインターネット時代のなか、人類がいかにこの惑星地球の恵みを、人類がシェアしてゆくのか、ゆけないのかを、問いつづけていることである。

五十鈴川はただ流れている、小倉が浜の波は寄せては引く。黙して語らずである。限りなく与えるだけで人間を気持ちよくさせる。大いなる大自然はときに人間をうちのめす。セバスチャン、サルガドは晩年黙して語らず、ふるさとの土地を甦らせる。400年以上も前、ハムレットは後は沈黙、といって死ぬ。

とりとめなき、今朝の五十鈴川だよりになったが、この猛暑のなか、何とか一日一日働き、生活しながら、この世に生を受けた存在のひとりとして、五十鈴川の声なきこえに耳を澄ませ、心穏やかに暮らす、お金に振り回されない、生活の探求を実践したい。

2025-07-01

7月1日、夕刻打つ五十鈴川だより。(あの世には、もってゆけない、五十鈴川)

 昨日夕刻岡山に戻った。そして今日労働バイトに復帰、夕刻いつもの自分の机に座って五十鈴川だよりをちょっと打っておきたい。

今日から7月、すごい暑さのなか無事に労働できた喜びが、五十鈴川だよりを打たせる。もう何度も打っているから、もうほかには打つことがないのかと言われそうだが、もうほかには今日はなにもないのである。

兄姉の家から歩いて、8分位のところにある駅

30分も草刈りをしていると、この痩せた体から汗が吹き出る。一時間ごとにTシャツを着かえ、水分補給や塩分の補給をする。自分で言うのもなんだが、この年齢でこの数年の気候変動の真夏日、お昼までとはいえ(午後も働くときもある)働きながら、五十鈴川だよりを打とうという気持ちになることが、自分にしかわからないささやかな喜びなのである。

話を変える。今回の4泊5日の帰省旅は、いつにもまして、いい旅になったという実感、喜びが五十鈴川だよりを打たせる。それはこの年齢にならないと、実感できないというしかない、当たり前の生活の素晴らしさを以前にもまして気付きの深まりを、体感したことである。その事さえ打てれば、今日の五十鈴川だよりは終わりである。

が、もうちょっと打つ。何故こうも私は、一年に何度もふるさと五十鈴川の向かうのか、その答えが、今回具体的に分かったのである。それはお墓参りはもちろんだが、そして姉や兄の存在が大きいこともさることながら、やはりいつも私の帰郷を自然に温かく迎えてくれ、毎回心のこもった手料理で迎えてくれる義理の姉の存在がなかったら、やはり私の足はこんなにもふるさとに向かうことはないであろう。その事を五十鈴川だよりにきちんと打たずにはいられない、のだ。

ところで、今回五十鈴川だけではなく、珍しく日向灘のおくらが浜に夕刻行ったのだが、これが本当に、’久しぶりに行ったのだが、この海の砂浜の素晴らしさが、改めて体に深く刻まれたことを、なんとしても打っておかねばとおもう。

私が生を受けた、門川町の素晴らしさが、いよいよもって人生の持ち時間が、すくなるなるにしたがって、染みてくるようになってきたこと、きちんと打たずにはいられない。姉や兄の家のそばが、門川中学校でいくら少子かで、子供の姿が少なくなってきたとはいえ、今回も私は門川の中学生たちを何気なく見かける度に、ホッとした。なんとはなしに門川の子供なのである。うまく言えないが、皆可愛い。

そのような我が町にたった3泊しただけなのであるが、単なる観光旅行とはまるで異なる、ふるさと旅の有り難さを、随所に感じる旅となったことを、その有り難さをきちんと打っておく。

交通費と食事代、位でかくも豊かな旅ができる我がふるさと、五十鈴川の湖畔に位置する私にとっての宝のような町の事を、かくも偏愛する私の性をお許し願いたい。こればかりは老いてみないとわからない境地である。

ともあれ、これから今年後半に向かうエネルギーが五十鈴川への旅で充電されたこと、その喜びを打って本日はこれにて。