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2025-04-24

回らない頭で、谷口英久さんにお礼を伝え、想う春の宵の食後の五十鈴川だより。

午前中の肉体労働が終わり家に戻ると、またもや伊豆大島の谷口さんから4月30日のスパイラルアームズの打ち上げようのお酒が届いていた。麦から芋へ。

お礼。その事さえ打てば、もう私はなにも打つことはない。正直もうほとんどなにも打つ気にならないほどに、気もまわらず五十鈴川だよりを打っている。

なにせ、夜食後に五十鈴川だよりを打った記憶がない。だが、今宵は打っている。谷口英久さんにお礼を一言打ちたいがための、五十鈴川だよりなのである。

だが、単にお礼を打つだけでは、もったいないという、老いたりとはいえ、純な気持ちが私にはまだあって、蛇足の感謝を伝えたいのである。そういう気持ちに私がなるのは、添えられていたお手紙が素晴らしいからに他ならない。

話は変わるが、今回スパイラルアームズを引き受けたことで、枚挙にいとまがないくらいに、次から次に、劇的な再会がいちいち記すことができないほどに出来している。その事の筆頭が谷口さんとの再会である。くどくどとは今宵はもう触れない。本番を目前にしてこれ以上打つことは控えるが、スパイラルアームズの今回の企画は、はこれからの私の老いの前途を照らしてくれるように思えてならない。

その事に関して老いのおき火が、今後どのように変化してゆくのかは、いまはまだなんとも私にもわからない。本番を終えて、かならず私の体と心が、何かを見つけてくれる予感がする、としか今宵はいえない。

とまれ、話は変わるが、あたかも恥ずかしいというしかないが、たった一杯のハイボールのせいかもしれないが、生きているということのなんたる神秘に、殊勝な気持ちに誘われるのはきっとまだまだ私が、巌と生きていることの証左ではないかと肯定感に浸れるからである。ともあれ酔うのは勝手だが何事も実現しないと、砂上の楼閣である。老いの可能性を、谷口さんのご神火のスピリッツを口にして想う春の夜である。

1 件のコメント:

  1. こんにちは。
    御礼なんてそんな。いつも夜には書かないお便りを書いて頂いてこちらも恐縮しています。
    今回の岡山行きはスパイラルアームスの公演もあるのですがそれと共に祖母が生まれ育った広島の山奥に出かけてみたいこともあり、それも楽しみのひとつとなりました。母方の姓はなんと、日高といい、これも何かのご縁なのかな? と思っています。
    昨日工場の片隅にある机周りを片していて山積みの書類の中から昔書いた日高さんへの手紙を見つけました。なぜ送らなかったのか不思議ですが相変わらず青臭いようなことが書いてあり、たぶん恥ずかしくなって送らなかったのではと思いました。
    囲炉裏端通信? に返信がしたかったのだと思われます。
    ママディケイタ? のことをさかんに書かれていた日高さんのことを懐かしく思い出しました。5日後にはお会い出来ますね!

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