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2025-04-15

新見の縄文美術館に出掛ける前の、朝の五十鈴川だより。

 15日の朝である。春雨、花冷え、春雷とめまぐるしく季節はダイナミックに移り変わり中、とりあえず30日のスパイラルアームズを見据えながらも、あくまでも私の基盤生活である労働をしながら、日々を過ごしている。いい意味での老人生活を送れている安堵感がある。

手で書き、伝える

だが、フラジャイルな人間の生活には、いつなんどき何があるか、皆目わからないので、若い頃と違って私は静かに、できる限り腹をたてず、穏やかに暮らす営みを求めている。

ちょっと油断したり、横着になったり、億劫になったり、つまり手抜きをすると、まず自分の気持ちがスッキリしないので、できる限り起きてから日が沈むまではキチンとした生活を心かけ、日が沈んだら弛緩する、ってな案配である。

たびたび、今後は超シンプル生活に移行したいと綴っている。限りある元気時間を大切に生きるためには、もう余分なことには首を突っ込まず、どうしても手放せない人たちや、ものに囲まれて暮らす、と決めたのである。(老いては義理を欠くのである)

とはいっても、家族を含め、大切な誰かに頼まれたりしたら、私にできる恩返し的なことには、労を惜しまず動ける間は動くといった気構えではいる。土取さんからの依頼で、スパイラルアームズを引き受けたことで、その気構えがよい方向に流れていっていることを、今、私は感じている。

老いた企画者ではあるが、うまく言葉にはできないが、70才からの再出発、老いの可能性が深まってきて、若い頃には考えもしなかったことに想いが及ぶような感覚が生まれている。だからこのようにきっと能天気に極楽とんぼ的な五十鈴川だよりを、打てるのだと思える(のだ)。

実現する、しないはともかく、まずは私の場合思い付かないと、何事も始まらない。思い付いたら信頼できる友人に相談する。そういう友人が、今現在私の回りに想像以上に存在していることが、一番の財産であり宝である。大事な人、あってウキウキ感が湧いてくる人、男であれ女性であれ人間で、その日一日一日をしっかりと生活している人にいちばん私は憧れる。

文化的なことや、芸術的なことに、つまり私がこれまで出会って来た世界では、出会えなかったような人間に、いまわたしは惹かれる。生活者であり、自分の役割、仕事にいきいきと没頭している人間に惹かれるのだ。だから自分自身が先ずはそのような人間でありたい、のである。そのために、どのような生活を心かけたらいいのかを、五十鈴川だよりを打ちながら考えつづけたい。(時間が来た、本日はここまで)

1 件のコメント:

  1. おはようございます。
    今日は仕事に少し余裕があり書き込みの時間ができました。
    近頃気にかけていることは「油断するな」ということです。
    バスを待っているあいだも、信号待ちで立っている間も、電車の中で座っている時もとにかく気を抜いてはいけない。見知らぬ人に後ろから刺されることも増えてきましたし、車が突っ込んでくることもあります。
    そんなことを考えていたら今日の日高さんのお便り、嬉しくなりました。
    ひとつだけ気になるところはお嬢様のご住所電話番号が丸見えで、発信者はここに細心の注意を払わなければいけません。誰が見ているかわかりませんし、お嬢様のご家族にも影響が出ることも考えられます。寒暖の差が激しいのでご自愛くださいませ。

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