今朝もお休みの日のルーティンワークを、運動公園でわずか30分ほどやり、水浴をして朝食をすませ、五十鈴川だよりを打っている。お休みの日は出来る限り五十鈴川だよりを打つように心かけている。タブレットの前に座り、今日の蝉時雨に耳を傾けていると、今日の五十鈴川だよりが打ちたくなる。
戦前の昭和を少しでも学ぶ夏 |
さて、今日はお昼を本当にひさしぶりに妻とランチに出掛けることになっている。子供を育て上げ、娘二人が伴侶を見つけ家を出てからの十数年以上、ほとんどの時間を妻と二人で過ごしている。
晩年の夫婦時間の過ごし方、お互い老いてゆくことも含め、家族の行く末も視野に含めながら、今のところ穏やかな老夫婦生活がつつがなくおくれている。ただただ在りがたい。これ以上は野暮なので打たない。
話は変わる。時おりオリンピックを見ている。阿部詩選手が敗戦した。私は一人の若い女子がこれほど臆面もなく、会場で号泣する姿というものを映像を通してこれまでの人生で初めてみた。一言で言えば金メダル以上のなにか言葉にならない感動が、今を生きる老人の私を打った。
オリンピック開始直前、兄妹揃って出演したNHKのファミリーヒストリーを見ていて、阿部ファミリーの清々しいまでの思いやりと、たくましいというしかないご先祖の歴史、生活力に打たれた私は、この兄妹の試合はなんとしても、勝負は別にして見届けたいと思っていたのだ。
詩さんの2回戦、当人も驚く意外な勝利の女神がするりと消えたかのような試合となり、思わぬ号泣シーンを目撃するはめになった。あまりの純粋さ、一途さ、泣き崩れる姿に私は打たれた。今時このように臆面もなく人前で号泣する若い女性がいることに驚くと共に、今を生きる我々が忘れている何か勝負を越えた大事なものを、彼女の姿から教えられた気がしたのである。
一方妹の敗戦を見届けた、兄の試合態度がすごかった、これまた人間の素晴らしさ、兄妹愛の極致を見た。見事だった。妹の分まで絶対金メダルを取るという気迫が顔にはでないが、全身からただならぬオーラが画面を通して伝わってきた。鼻血を2度治療しながらの、一瞬の隙を見逃さないあのすごさ。結果兄は金メダル連覇を成し遂げた。素人の私には柔道の奥深さはともかく、家族全員のお互いの思いやりが、結果的に、こうまでも美しいとしかいいようもないほどの果実をもたらすというお手本のような家族を目の当たりにできた喜びが、私に五十鈴川だよりを打たせる。
この世には千差万別の家族が存在するとおもうが、この阿部ファミリーの無言の絆の深さには、まさに理想的な家族の姿を垣間見たような気がする。平凡に生活している家族がお互いを究極的なまでに支えあっての金メダル。詩さんはメダルは逃したといえども、私には金メダル以上の大切なことが伝わってきた泣き姿。(家族と共に老人の私も今少し成長し支え合いたい)
会場に拍手、詩コールが響いていた。詩さんの姿にメダルの色以上の国や人種を越えた感動ヒトである人間を突き動かしたのだと想う。オリンピックに賛否両論あるが、このような、まさにドラマは真剣に生きているもののみにこそ、降臨する。そのようなことを感じてしまうほどの美しい詩さんの涙だった。
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