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2024-07-29

万事塞翁が馬、楽あれば苦あり、一日一日酷暑の夏を楽しみつつ乗りきりつつ、想う。

 うんざりするほど暑い夏が、と打つのも嫌になるほどに続いている。だがありがたいことに、自分でも信じられないくらい、元気に今のところ過ごせている。お休みはほとんど家で静かに暮らすということを実践しているのだが、昨日の午前中と、今朝は菜園場にゆき茄子やオクラ、トマト、ピーマンなどに水をやり、木陰のある時間帯に草取りをやって来た。

今朝収穫した恵み、水不足小粒だ

いずれも1時間半くらいで切り上げたが、こうも雨が降らないと、人間同様野菜も全く元気がなくなる。もうバイト先の菜園場での素人野菜育ても6年近く、一事が万事継続することで、じかに野菜と向き合うことで、毎年なにがしかのことを学んでいる。

とくに手術後、古稀を過ぎてからは土に向かい合う時間を大切にしている。土に根を張る手強い雑草を除去する根気のいる作業は、未だ私の心と体の健康チェック機能を量るうえで欠かせない。たとえ猛暑であれ草は勢いよく瞬く間に延びている。

その生命力たるや毎回驚かされる集中力と根気を養うにはかかせない。草は老人の私を鍛える。ヒトには見せられない四つん這い姿での匍匐前進草取りはわたしが考案したもの。これは富良野塾で体得した。これが一番腰に負担がなく、体幹の訓練にもなる。

昨日今日さつまいも畑に密集する雑草の除去に従事したのだが、2時間以内が限度のこの夏の暑さである。熱中症という言葉をこの数年聞かない夏はない。60代までは自分にはあまり縁の薄い言葉のような気もしていたが、熱中症のような事態が我が身にも十分に起こりうる年齢である。けれども私はあまり数字や過剰な報道情報にはどこか距離をおく。自分の体が発する情報をこそに耳を傾ける。何かの予兆、気が進まないとか、やる気が起きないとか。

午前中の過ごし方と午後の過ごし方は異なる。私の暑さ対策というほどのこともないのだが、午後はのらりくらり怠惰に過ごす。だがせっかくのお休み、鋭気を養うためにも規則的なリズムのある生活を心かけている。五十鈴川だよりを打つことも機能調節維持のためにはかかせない。とくに午後から夕方にかけて温度が上がり続け下がらない時間帯の過ごし方でわたしが還暦以後、続けていることのひとつがお昼寝である。

お昼寝の前後には水浴をする。下半身水に浸かっての読書も欠かせない。こうも暑いと食欲が低下するのを避けるため、草取りなどしてなるべく汗をかき意図的にお腹をすかせ、食べたら眠くなるので、睡眠だけは十分にとるように心かけている。クーラーが苦手なのでつとめてクーラーに頼らず、部屋の窓を開け放し、風のあるところを移動しながら本を読む。今も2メートル位のところから扇風機を浴びながら打っている。

つとめて何かに熱中する、部屋の環境を整え暑さをやり過ごす、ということを古稀を過ぎて私は実践している。ゆっくり動き一日一日やり過ごすことの積み重ねしか、高齢者の私の出来ることやりたいことは夏には他にはない。限りなきシンプルライフを生きる。昨年後半50年以上購読していた新聞を取るのもやめたことは、すでに打った記憶があるのだが、限りなき情報遮断生活に入ったので、ほとんど新しい情報が入ってこない。その事でもって困ったことは今のところ全くない。

新聞をとっていた間、気になった記事を切り抜いていたノートが数十冊あるので、気が向いたときにそれらの古い記事を読み直すだけでも、もう私には余分な情報は不要なのである。

これからの未知の時間は、ますますもって、未知のなにも持たない旅、未知の本(繰り返し読みたい本)、折々会いたくなる長い交遊友達との時間、そしてかけがえのない家族との時間を最優先に、との思いを新たにする。老人の私はガマノ油のようにじっと汗をかきながら酷暑の夏を生きている。

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